パパは認知症 fair elder care
2007-09-29T07:05:36+09:00
scallops
「正しい介護」って何? レビー小体型認知症de要介護5の父、83歳。毎日悩みまくりながら在宅介護してきましたが、誤嚥性肺炎を繰り返して医療保護入院に。現在はクルマで片道1時間の道のりを、日々通い介護ちう。
Excite Blog
心配
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2007-09-29T07:05:36+09:00
2007-09-29T07:05:36+09:00
2007-09-29T07:05:36+09:00
scallops
病棟の日々
ときには一方的においらがはなし、ときには父がしゃべる分からない言葉をひたすら聞く。だけど、ときには本当に普通の会話ができることがある。これをいって、信じてもらえるのかどうかわからないのだけど、今日が後者だった。
父は今日、饒舌だった。
つづきは後でアップしますー。もうでかけなくちゃだ。]]>
低気圧
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2007-09-17T03:31:00+09:00
2007-09-17T08:45:00+09:00
2007-09-17T03:31:02+09:00
scallops
病棟の日々
おかげさまで父は元気にしてます。穏やかな日々。
今日はほんのちょっと機嫌わるかったなぁ。ぼやぼやして、わけわかんなくて、すこしだけだるそうだった。顔しかめて、咳き込んだりもして。でも、怒ってるわけではないの。
病棟のあちこちで怒号が聞こえた。一見してイライラして見える患者さんたち。「Y本さん(仮名)、どうしたのかしらねー」。他の患者さんをケアしながら、看護師さんがふりむいた。食事ちうからずっと、めっちゃ対応に追われている。
日曜日の夜。医師はすでにいない。
イライラしたり、怒鳴ったり、落ち着きがないのは、たぶん低気圧のせいだ。医者は「そんなものは非科学的だ」と、鼻で笑うかもしれないけれど。
気圧の高低差が激しいと、おれ自身が不調になる。今日は、午後からカラダがおもだるくなって夕方からどうにもひどい偏頭痛がはじまりそうだった。不調のせいか、ちょっとイライラ。病院に向かう車の中で、抑肝散陳皮半夏、安中散、さらに頭痛薬を飲んだ。
今の父だったら、五茱萸湯か五苓散で水分代謝を促したら、だいぶ楽になるだろうなぁ。
Y本さんには抑肝散、M田さん(仮名)には五茱萸湯。そんでもイライラが治まらなければ軽い頭痛薬を飲ませるだけで、だいぶ落ち着く気がする。不調を具体的に伝えられないから辛いよね、認知症患者って。ほんでもて、薬のことはあくまでおれの妄想ですのであしからず。
他の患者さんのことはともかく、父にはお湯の用意をしてくればよかった。今日の反省点。なかなかタイミングとかむずかしいんだよなぁ。けど、次はそうしよう。ハーブティ飲ませるだけでも落ち着きそうやし。
一昨日は、父の体調がとてもよくて、久しぶりに泣いてしまった。
食事の介助をしていたら、いきなり父から「○○○」と名前を呼ばれた。たぶん、もう一年くらい名前なんて呼ばれてなかったんじゃないかなぁ。びっくりした。あんまりびっくりして、反応が遅れて、しばらくしてから涙がぽろぽろこぼれた。ものすごくうれしかった。
だれにも気づかれないように、食事介助をふつーに続けて、最後にプリンとティラミスを食べさせる。父は今、でん部にかゆみがあって週一で皮膚科を受診ちう。どうしてもかきむしってしまうため、ステロイドで抑えてる。先週、ちょっと弱い薬に変えてもらったところだ。
「パパ、かゆみ止めのおくすりのもうね」と、看護師さんから渡された飲み薬を、ティラミスにかけて投与した。
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ふらわー
http://scallops.exblog.jp/5522001/
2007-04-17T01:24:00+09:00
2007-04-17T10:43:37+09:00
2007-04-17T01:24:37+09:00
scallops
家族
今年の桜は、あっという間に散ってしまった。
あれからまた父は高熱を出し、病院から呼ばれて例のごとく危篤のお知らせ。「いつ、何があってもおかしくありません」。うひー、またでたよ。決まり台詞やんな、もうコレ!
意識はなく、ハァハァ苦しむ父の傍らで、自らの無力をなげく時間をいたずらに過ごした。そんな日々に、おはなみを堪能するゆとりなんてまったくなく・・・。
てか、もちろん運転して毎日通りすぎる道のりで、満開の桜をたくさん見ることはできてるんよね。あうう、いゃ~、ほんとに、一瞬だけどもあれはきれいやったわ。ココロがふるえたもん。瞬間的でも、あれはおはなみやったんかも。ふむ。瞬時に花を楽しめる能力って、これ、花眼なのかな? ちうことは、年を順調に重ねてるってこと? えー、それって・・・。なんかちょっと複雑やったりして。
そりはともかく、要は、父を連れておはなみしたかったんやわ。そんな、今いうてもしかたのないことを少々悔やんでみたりする平成19年、春。人の欲望というのは無尽蔵なもんやね。
そんなわけで今月の和漢診療日にも、父はまたどうにか復活をとげ、入院先の病院を抜け出すことがでけた。こんなときだけだけど、神様ありがとう。月イチのドライブが、おれら家族のお楽しみと化しているこの事実。なんだか不思議やわ。でも、おれ自身は不調なのよ。先月と比べたら・・・、どうなんやろ。こないだの不調は、確かにようなった。けど、今回は、お口が開かなくなってもうて。先生からは「ストレスですね」と、一言。ま、そりゃ仕方ないわ。で、肩から首にかけて置きバリをしてもらうことになった。
おれももっと強くならないとなー。最近ちょっと弱虫すぎたから。
昨年末から悲しい出来事が続いた。直接関係ないのかもしれないけれど、それでも辛い。とっても辛かった。今もまだ引きずっている。この感覚は、なんて説明したらいいんだろう。ま、しかたない。時が解決してくれるのを待つだけだ。
診察後、今回も、病院のレストランで父にタマゴ雑炊を食べさせる。
熱々のタマゴ雑炊に、トロミパーフェクトを入れてまぜまぜ。スティック状のだと、トロミをつけるものによって、量の(つまりはトロミの)調整をとるのがむずいので、おれはジップロックコンテナにザザッと入れて持ち歩いている。これならいくらでも加減でけるから。
入院先の病院で父が食べる食事はミキサー食なので、外出時にフードプロセッサーを持参ででかけてレストランに相談することも考えたんだけど、多少なりとも「かめる」、本人が「かもうという意識(というか気持ちが)ある」うちは、月イチのおでかけ時くらい食べさせてしまおうと考えた。
医療関係者なら、無謀だというのだろうな。でも、無謀でも家族はやるのです。
scallops家で父にものを食べさせるときは、「これを食べさせたことが原因で死ぬことがあっても構わない」という覚悟をもって臨んでいるです。毎回が真剣勝負なのら。まぁ、実際にそうなったら、やっぱり多少は家族で悔やむんだろうけれどもね。
そんでも、これは家族で決めたこと。父を介護してまる3年が過ぎた今、うちの結束はかなり固いんですわ。ぶふふ。そして、どう介護していくか、どう父を見送るか、はっきりした方向性が決まっておるです。あとは、その場になったときに迷わない力をもつこと。毎日がそのシュミレーション状態。とりあいず今、食べさせるか止めるかは、わたしが決定していいことになっている。
という感じで、端から見たら「ほほえましい家族の食事風景」なんやろうけどもね。実際は、相当真剣ですわ。そんでもって、今回も、無事に食わせることがでけました。ついでにデザートのプリンまで食べさせちゃいますたよ。
帰り道、いつものお花屋さんに寄って、サービス品のバラを全部買い占めてきますた。おはなみでけなかったから、せめてバラの花でも楽しんでもらおうかと思ったわけです。お見舞いにバラってどーよ! とも思ったけど、病院スタッフが「きれいねー」と、単純に喜んで飾ってくれました。97歳の祖母が知ったら、また激怒すると思うんやけどね。「トゲのある花を人様に贈るなんて!!」って。]]>
おでかけ
http://scallops.exblog.jp/5302887/
2007-03-10T05:44:03+09:00
2007-03-10T05:44:03+09:00
2007-03-10T05:44:03+09:00
scallops
しあわせ
月に一度の和漢診療日。
おいらはこれを父に、「ドライブ」とか「おでかけ」と説明している。たぶん父は、なにがなんだかわかってはいないだろうけれど、そんなことはあんまし関係ないんだよね。おれは父を和漢の先生に診てもらいたくって、父はとりあえずおでかけで気分転換がでけて、母はいいとかわるいとかよくわからないけど一緒に参加することが最近は楽しみのよう。なんかね、「それだけでいいじゃん」て思うのん。
でね、ここんとこ、おれは父の病院へ毎日がんばって通い詰めていて、しごともそこそこ忙しく、なのに休みの日はおでかけ三昧していたせいか、ちょっとぼんやりしていたらしい。今朝はいつもどおり早起きしたのに、YouTubeとかぼーっと見ていたら出かける準備がぎりぎりになってしまった。しかも、忘れ物をして一度家に戻ったり。もうね、集中力ゼロ。
その後、入院先へ父を迎えにいって車に乗せたまではスムーズだったけど、いきなり高速へ入る道を間違える。ぷぎゃー。一瞬の気の緩み? こんなこと今まで一度もなかったのに。なんだかよくわからないけど、とりあえず今日は「気をつけて運転しよう」と気持ちを引き締める。
病院では、診察に必要な検査データを車の中に放置してしまった。診察中、走って駐車場まで取りに戻ることに。会計手続き時には診察券を母のバッグに入れたままだったし、カウンターでは父のおでかけ介護グッズを放置して忘れてしまった。そういえば、昨日はお財布を落としたのに一日気付かなかった。ほんとに偶然、知り合いが拾ってくれて事なきを得たけど、現金が2万円にカードも保険証も全部入っていたのよ。恐ろしい・・・。
父と母の診察後、おいらも診てもらってるんだけど、最近気になる症状を先生に伝えたら「相当疲れてるんじゃない?」といわれる。「そ、そういえば・・・・」。今日の集中力のなさに、この脱力感。さらには、なんか焦燥感すらもぼやけてる感じだ。
「確かに、オーバーワーク気味です。相当無理してます」。
その結果、今日の処方は「十全大補湯」だという。これね、たとえば病後の体力のない人がよく処方される漢方薬なのだ。病後でもなんでもないおれなのに。
てかおれ、肝も腎も相当疲労してるんだ・・・。先生が診ると、気と血がまったく足りてない状態らしい。飲んでみたい漢方薬のひとつだったから、ちょっとうれしい反面、そこまで疲れてる(と診断された)自分にちょっとびっくり。ここんとこ、気力と体力で無理やりカバーしてたのかも。がんばりすぎちゃったんかな?
そんなわけで、会計後に忘れ物を捜して、思い当たるところ全部に聞いたらやっぱり会計カウンター前に忘れていたとのことで荷物は無事に戻った。リットマンの聴診器まで入っていたので、戻ってきてほっとする。高かったのよねー、これ。
その後病院のトイレで父のおむつを換えて、レストランでタマゴ雑炊にトロミをつけて食べさせ、薬をもらって、父を床屋に連れていき、入院先へ戻る。おれ、今日もがんばった。
病院に戻ったら、父がものすごい笑顔で超ごきげん。どうしたんだろうと思って「パパ、今日楽しかったの?」って聞いたら、「すごい楽しかった。こんなの初めてだ」といった。おれ、すげー驚く。
「こんな楽しいと思えたのが初めてだったんだね。よかったー」と父にいうと、父が「うんうん」とクビをぶんぶん縦にふり、おれの頭をイイコイイコしながら「ごくろうさん」といった。(言葉が通じてるとか、父が感謝の気持ちをおれに伝えるとか)あまりのミラクルに胸が詰まってもうたよ。
今日のおさしんは、父をベッドにつかせた後、入院先の病院の喫茶室にいって母とクリームソーダでホッとしてるところっす。今日も一日とってもしあわせですた。
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つれづれしあわせ考
http://scallops.exblog.jp/3926002/
2006-08-03T15:37:02+09:00
2006-08-03T15:37:02+09:00
2006-08-03T15:37:02+09:00
scallops
デイサービス
「お父さま、今は、どんな状況なんでしょうか」
むかし父がお世話になったことのあるデイサービス施設から、いきなりの電話。(父の症状について)ケアマネからは詳しいことをまったく聞いていなかったので、心配して連絡したっていう。ありがたいよね。そんなん聞いたら、おいらだって「ほんとに、うれしいなぁ」とか思っちゃうもん。
けど、状況を説明しているうちに状況が変わってきたの。てか、単なる営業の電話だったんだよね。ちょっと考えればわかることだったんだけど。
そんでね、父のことをはなしていれば、どうしても具体的な病状のことになるわけよ。だって、なんでこんなに長期間も退院でけないのか、ある程度説明しなくちゃわからないでそ。父は(家族から見れば)すこしずつ状態はよくはなっているけれど、正直まだ退院は無理。
このへんのびもーなニュアンスって、相手にわかってもらうのはむずかしい。で、まーそれ以前に、たとえ退院がでけたとしても、デイにそうそう簡単に通える状況じゃないわけでさ、だからとりあえず「父は嚥下に問題があり、医学的には胃瘻取り付けを宣告された症状である」ということを説明したの。そしたら、もうね、いきなりドン引きして声が小さくなっちゃった。
「そ、そんなに悪いんですか」「そこまで悪いと思いませんでした」だって。
おれね、最近じゃもうこれが当たり前になっているから、感覚が普通ではないのかもしれないんだけど、「ミキサー食で暮らしてる」からって、必ずしも「状態が悪いわけじゃない」と思ってるの。
入院ちうではあるけれど、パパはどうにか元気にしている。病気でも、それなりに日々をがんばって生きている。健康な人に比べたら、ひどい状態なのかもしれないけど、なんかね、「そんな言い方しなくてもいいやんか!」って、はなしてるうちにムカムカしてきちゃったんだよね。
病気で契約を一度解除することになった要介護者の家族に、半年ぶりに(営業の)電話をしてきて「そんなに悪いんですか!」って、どうなんかな。てか、そのしとは介護の関係者なわけでさ。それでも、こういう言い方になるんだなぁって思ったら悲しくなったの。そこはデイ専門の施設だから、「そんなに悪い人(=今回の場合は父ね)」を、あまり見たことないのかもしれないとは思ったんだけど。
そこのデイは胃瘻だと利用は無理、それどころかミキサー食ですらNGらしくって、で、まぁ、そういうことであれば営業担当としては、うちには用がないわけやん。とりあえず営業のしとはさー、それがわかったら電話を切る体勢に入る。で、その前にお愛想をいうわけね。
「治ったらまたきてください」「お粥(と刻み食)が食べられるようになったらぜひまた」「お父さま、早くよくなって退院できるといいですね」。こんな感じかな。とにかくいろーんなことをいわれた。
でも、うちの父、もう、そこまでよくなる可能性は、ないわけでさ。
たとえば、うちの父のように「胃瘻(じゃなきゃ無理!!)」を宣告されて医療保護入院になった人がさ、ふつーのごはんを食べられるようになるなんて、ほとんどありえないことなんよね。てか、逆にね、医学的に無理といわれながら、半年間ミキサー食をむせないよう続けていられることってすごいんじゃね? 本人も病院のスタッフも、なかなかがんばってくれてる成果じゃん、とか思ったりする。今のミキサー食を、すこしでも長く続けられることが、家族の切なる希望でもあるわけで。
もちろん相手はそこまで考えてないだろうし、単なる表面とりつくろい系挨拶のつもりでいってるんだろうけど、朝っぱらから、(おいらとしては)無神経(に感じるよう)なことをいわれ、なんか気分がもやもやしてしまったんだよね。「健康な方と違って、そうそう簡単に食事を戻したり、よくなるようなことはありませんから」というのが精一杯で。
でね、考えたの。おれは、彼女からどういってもらったら、こんなにもやもやしなかったんだろうって。いっぱい考えたけど、どういわれたとしても、おれはたぶんもやもやしただろうなって思った。やっぱ、要介護者の家族を抱える家族には、ダイレクトな営業の電話なんかかけるもんじゃないよね。元気になったら、また家族側、もしくはケアマネから連絡があるだろうしさ。無神経(に感じるよう)な電話を受けた家族の中には、まる一日、気分を害してしまう人もおるでな。営業の仕事って、たいへんだと思うけど、正直いっておもっくそメーワクですわ。
健康な人が(病人が)「こんな風になるといいな」「できるようになると幸せ」って思ってしまうのは、仕方のないことだと思う。自分がその病気を体験したり、家族や身近にそういう状態の人がいなければ、そのなかにもどんだけたくさんの幸せがあるか、わからないもんね。でも、なんかね、「できるようになることだけが幸せなのかな?」って、最近思う自分もいるの。だって、うちのパパ見てると、ミキサー食だけど、歩くのもままならないけど、入院中だけど、案外幸せそうよ。
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小さな疑問
http://scallops.exblog.jp/3861434/
2006-07-23T10:11:00+09:00
2006-07-23T10:11:43+09:00
2006-07-23T10:11:03+09:00
scallops
治療
毎日雨続きでうんざり。
湿気がカラダに溜まると、そもそも冷え気味なのにますます冷える。不調が出てきてる友達も多い。おれも気をつけなくちゃだ。それから、九州地方のみなさんには、お見舞い申し上げます。
あれこればたばたしていて、しばらくブログをおさぼりしてしまった。
ばたばたの内容は、父の病院行きがメインで、母の病院へ行ったり、薬局へ行ったり、あれこれ調べ物したり、分子栄養学の先生に相談メールを書いたり(本を読みながらメールを推敲して練り練りしたので、これに3日かかった)、雑用がそのほかにてんこ盛り。その合間にすこし仕事して、あとはサプリメント探し。
きっかけは、先週末にもらった父の新しい血液検査結果だった。
梅雨時で、多少の不調があることを考えても、あまりによくない数値。ただ、これは西洋医学的には重篤ではないから、カリウム不足にカリウム製剤くらいで、大した治療対象にはならない。
それでも、この数字が、おれ的にものすごく不快だった。これまで父は、どんなに体調を壊しても、こんなへんてこな結果が出ることはなかった。おれが知る限り、父の血液検査結果はいつもおれよりずっと健康なのが当たり前。もしかしたらそれは単なる思い込みで、父の不調の具体的な原因に、おれが気づいてなかなかっただけなのかもしれないんだけれど。
でも、とにかく、今回だけは、むちゃくちゃ気になった。
2月から和漢診療を導入した。父は元気をすこし取り戻し、「理論的にいけば」もうすこしよくなっていくはずだったのだが、ここにきて逆に血液検査の数値が悪くなっている。それは現実問題として、きちんと受け止めなければならない。和漢投与のせいで、肝機能が悪くなる場合だってあるのだ。
よくなったことは、たとえばかかとの硬いのがやわらかくなったり、かさかさに乾燥していた肌はすこしずつだけどしっとりしてきている。冷えも多少は軽減。それは「そういう効果がある」漢方薬が処方されているから、当たり前の結果なのだ。ところが、足し算をしてるはずのに、血液検査では答えがマイナスになってしまう。しかも、前に、あまり見られなかったむくみもあったりするんだよね。これ、なんかおかしい。
高齢者だから仕方がない? 和漢だからあやしい? ちがう。どこかに、理由があるはずなのだ。
曖昧だった「ひっかかった気持ち」は小さな疑問になった。で、知識の切れ端を総動員して調べてるうち、分子栄養学にたどり着いたのである。本を読んで、とりあえずわかる範囲で父にサプリを盛り、様子を見て、あれこれ考えてるうちおれ的結論が出た。父の体調は、治療以前の問題だった。医学的に問題がなくても、分子栄養学的にその血液検査結果をみると、素人のおいらですが、栄養状態がとても悪くなっていることがわかったのだ。
おっと、時間だ。今日はこれから友達の家でホームパーティなので、これからレシピ確認など準備に入ります。続きは帰ってから~。
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できること
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2006-07-14T13:34:00+09:00
2006-07-17T13:42:26+09:00
2006-07-17T13:40:18+09:00
scallops
病棟の日々
分子栄養学の本を読んで、やっつけではあるが、父の血液検査の結果のうち、今おれが調べられる限りの問題は、タンパク質、ミネラル(鉄)、ビタミン(特にB6、B12、E、葉酸あたり)の不足らしいことがうっすらわかってきた。鉄が不足ということは、ビタミンCも必要なんだよな。
そこで病院へ来る途中に寄ったスーパーで、乳製品や栄養ドリンクなど、成分表示とにらめっこして選んでみた。おれは医者じゃないし、栄養学もきちんと学んだわけじゃないから、単なる気休めにしかならないかもしれないんだけどね。それでも、やらないより、やってみたほうがいいと思った。
部屋へ戻る間中ずっと、見えないなにか大切なものを、父はずっといじくっている。最近は「それはなに?」と聞いても、「わからない」ということが多くなった。食後にお腹がいっぱいかどうか聞いても「わからない」というので、とりあえず「甘いものでも飲んでみようか」といった。
乳酸菌飲料をカップに移して、トロミをつけて父に飲ませる。「おいしい?」と聞いたら、「うーん」と考え込んでいる。でも、「もっと飲みたい」と催促してるので、まずくはないのだろう。
ハーゲンダッツのアイス、カスタードプリン、生クリーム入りのコーヒーゼリーならもっと喜んで食べたと思う。けど、今日は栄養補助が前提なので、うまさは二の次。たった数回、こんなものを食べさせただけでよくなるとは思えないけど、小さなことからコツコツとだ。ほんとは、これが毎日できたらいいんだけどなぁ。
その後に食べさせたリコピンゼリーは、あんまりおいしく感じなかったようす。このへんの味覚の好みがあるうちは、父も大丈夫。今日のはきっと、甘みが足りなかったんだろう。次回は、やっぱ作ってもってこようかな。そのうち、ツバメの巣入りの杏仁豆腐でもやってみよう。
食後は、歯磨きをして、薄めたイソジンに浸したガーゼで歯をぐるっとぬぐい、歯ブラシとくるりーな、カップを洗い桶に戻してくる。さて、次は着替えだ。今日はたまたま洗濯物をもってきているので、ロッカー室のカギを開けてもらったり、頼んで出してもらわなくても大丈夫だ。よかった。大安だから、タイミングがよかったんだ。・・・ということにしておこう。
「ズボン、濡れちゃったね」といったら、「濡れちゃったんだよ」と、父。
「お着替えしようか」といって、車イスの抑制帯をはずして父を立たせる。車イスの座面にはトロミの水溜りができていて、エアクッションもびたびたにぬれていた。思っていたよりだいぶひどく、ズボンを脱いだおむつ姿でふたたびここには座らせられない。こんなぐしゃぐしゃやったら、ずいぶん気持ちがわるかっただろうなぁ。
父を抱えたままでズボンをひざまでおろし、別のイスまで移動させて、そこに座らせる。父は、半分わかってないけど半分はわかってる感じで、動かそうとすると一瞬拒否るのだが、大きな抵抗はなく、おとなしくいわれたままにしている。たぶん危険がないことだけはわかるのだろう。もちろん「濡れたズボンを着替えるために立つんだよ」とか、「あそこまで移動するよ」とか、「脱ぐのに一度すわらなくちゃね」とか、イチイチ説明しながら作業するんだけど、暴れるのを覚悟してたせいか、思っていたよりはスムーズだった。幸い、足やおむつは、特に塗れていなかった。トロミのせいだろう。
「じゃ、新しいパジャマを着ようね」といったら、片方ずつ足をあげる。いつも、今日のように落ち着いていてくれたら、悩みも少ないんだけど。着替えが済んだら、父はちょっと元気になった。最近とても疲れて見えるので、あんまり無理はさせたくないんだけど、足の甲にむくみがあるので多少は歩かせたかった。どうにか父を誘いだし、一緒にいちばん近くのソファまで歩き、靴下を脱がせてマッサージする。
痛くて怒るが、「カラダのためだから」と説得して、左足裏を丹念にマッサージ。そのうち、ちょっとぼんやりしてきた。このまま眠くなって、歩けなくなると困る。そこで、マッサージを途中で切り上げて、部屋へ戻りベッドへ横にさせ、抑制帯をつけてもらう。続きの右足マッサージをベッドの上でやっていたら、父は瞬時に入眠してしまった。
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大安
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2006-07-13T13:21:00+09:00
2006-07-17T13:43:15+09:00
2006-07-17T13:33:44+09:00
scallops
未分類
夕方、病院へ。面会票に名前を記入していて、ふと日付を書くのにカレンダーを見たら、今日は大安だった。
食事はとっくに始まっており、父は早くもほとんど食べ終わっていた。すでに、トレイも撤去されて、目の前に残っているのはお味噌汁のみ。今日は相当おいたをしたらしく、あれこれこぼして汚した残骸が、テーブルの上を見て受け取れる。
父は髭を剃った様子がなく、ぶつぶつと無精ひげが生えていた。
入院直後はこれが気になって、何度も自分で剃ったりしたなぁ・・・、なんてことを思いながら、横のイスに座った。父は、無精ひげがすきじゃない。最近は、結構毎日きちんとしてもらっていたから忘れてたけど、やっぱり小さなシェイバーを買って持参したほうがいいかな。
父のシェイバーと爪きりはナースステーションに置いてあるのだが、出してもらうには、忙しいスタッフの手をわずらわせなければならない。そういう小さいことが(申し訳なく)面倒で、小心者の家族は小さなことを諦める場合が多い。
「ごはん、おいしかった?」と聞いたら、「それが、わかんないんだよ」と父。
父が両手でもてあそんでいたスプーンの柄が、ミキサー食ででろでろによごれていたので、持参したウエットティッシュで拭き、残りのお味噌汁を、父の口へ運んだ。父はなんの抵抗もなく完食する。
お碗とスプーンをワゴンへ片付けた後、エプロンをはずそうとしたらずっしりと重かった。こぼれたミキサー食が下にたまっているようだ。父は食べるときの汚し方がひどいとのことで、エプロンは三重装備にされている。まずバスタオルをタテにエプロン状にかけて首の後ろで軽く結び、その上にエプロンを二重にかける。
おれがいるときは、横から監視して器の角度を何気に横から支えたり、こぼれそうなお粥はスプーンや器でキャッチ、器が倒れる前に戻し、残ったミキサー食をこそげとって口に入れるから、ここまでこぼすことには気がつかなかった。どれだけ汚れても「ひとりでやる」ことは、父にとってとても大事なことだと思う。家族は、うっかり手を出してしまうからね。その意味で、この病院のやり方はありがたいし、支持できる。ひどい汚れを見ることも、以前ほどに抵抗はない。だけどただでさえ少ない食事の、4分の1はこぼれていそうで、それだけは気にかかってしまうのだ。父に、これ以上痩せて欲しくない。
ふと視線を下に移したら、太もものあたりが茶色く濡れていた。
トロミのついた麦茶を、マグごとひっくり返したようす。拭いた跡はなく、表面張力でこんもりと溜まっている。マグはすでに片付けられていたから、(おれだったら)気づかないはずないけど、(スタッフはいろいろ忙しいだろうし)気づかない人もいるのかもしれない。これは皮肉でもなんでもなく単なる事実として、この病院では「お茶をこぼして濡れる」程度は、スルーの基準なんだなと思った。
入院当初は、自分も病院のやり方がイマイチわからなかったりして、(家でやっていたこと、前の病院や施設とは違う)小さなことがとても気になった。けど、父がだんだんよくなっていく様子を見て、すこし考え方が変わってきた。
家族は目先のほんの小さなことで、一喜一憂する。けど、介護する上でほんとうに大切なのはそこじゃない。父が(ある程度の基準で)健康で、安全にいられることが第一なのだ。すこしはなれた目で見ることも大切なのだと思う。なにより父を甘やかせすぎてはいけないことは、この病院のケアから学んだ大きな収穫だった。
それでも、今日おれがこなかったら、父は濡れたズボンのままベッドへ寝かされてしまっただろう。そして、それを知る人はいない。日々の介護士さん、看護師さんたちの働きぶりを見ていれば、このくらいのことは「仕方がない」と思うし、それを非難するつもりもない。けど、家族の在宅による介護だったら、濡れたズボンで放置することはありえない。
ただひたすら単純に、今日は来てよかったと思った。(つづく)
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ヨロコビとカナシミ
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2006-07-13T12:40:11+09:00
2006-07-13T12:35:23+09:00
2006-07-13T12:35:23+09:00
scallops
未分類
紫蘇ジュースをゼラチンで固め、ぷるぷるのゼリーにして病院へ持参。磁器の器でつくって、ラップして上に保冷剤をのっけていった。今日は、久しぶりに母と一緒だ。
前日に味見したら、濃くしすぎたせいかちょっとえぐみがあったので(甘いもの好きの父用に)、ハーゲンダッツのバニラをトッピングして、母から父に食べさせてもらった。母はお客さんじゃないからね、なるべく使うのだ。おいらとしては、ここがポイント。
不穏続きだった父が、いきなり「うまいッ!!」って叫んだ。
久しぶりに「ッッッ!」の部分に、勢いがあった。これは、ほんとーにほんとーにうれしい。ふだんは、悲しくてたまらないことのが多いけど、こんな些細なことで、父の笑顔が見られるだけで、十分幸せになれるんだから、介護ってやめられない。でも、今日うれしかったのはそこまで。
むかしの父が、もう戻ることはない。今日は、ほんとに実感してしまった。
病院へいくたび、現実がつきつけられている。父は病気なのだ。もうよくなることはない。頭では理解している。だけど、外見が急激に変わってるわけではなく、もしかしたら、うちにだけは奇跡が起きるかも! なんて、家族はどうしてもミラクルを信じてしまうんだよね。ばかばかしいことだけど。
父が「認知症だ」とハッキリ告げられたとき、もちろんその数年前から様子はおかしかったわけで、多少、諦めに似た気持ちはあったはずだ。だから「父がこれから変わっていってしまうだろう」ことはうっすらと感じていた。けど、正直、当時はまだどこかに他人事のような気持ちがあった。
あれから父の認知症は、ほんのすこしずつ、ゆるやかに進んでいき、2年前には日々のことがまったくできなくなった。けれども、喜怒哀楽は当たり前にあり、会話も(へんてこではあるけど)成立した。当時はまだ、(運動神経抜群だった父が)まさか(脳の病気で)本当に歩けなくなってしまうとか、娘の名前までがわからなくなるなんて、真剣には思っていなかった気がする。
今の父は、ひとりでは歩けない。家族のこともほぼ思い出せず、なにがなんだかわからないでいる。
目の前の父は、ベッドから立たせて座らせようとするだけで暴れるので、ふたりがかりで車イスに座らせた。起こすのにも時間がかかったが、父は82歳にしては驚くほど腹筋が強く、自分が「起きたい」と思うときは、まるで『エクソシスト』のリーガンのように(ふるっ!)ピョコンと起き上がることができる。これは、腹筋力ゼロのおれにはでけないこと。ただし「自分が起きたいとき」限定なので、今日のようにじっくり待つことができるときは、5分から10分も放置していれば起き上がってくれる。で、家族もユトリがあるときはそんな些細なことで、「元気でいいよね」「筋力すごいね」と喜べたりするんだけれど、介護者として見たらコレは最悪だ。
胴抑制がなければ、ほんの一瞬目を離したとき、すぐにベッドから転げ落ちてしまうだろう。
父が病院から出られない理由は、このへんのこともあるのかもしれない。抑制のことは、(それ自体をわかっていない)本人よりも、見ている家族の方がしんどい。経験者ならうなずいてくれると思うけど。必要なことで、家族のせいではないとはいっても、「抑制の同意書」にサインするのは、おいらだ。どうしても、良心の呵責にさいなまれてしまう。最初の入院でこれを乗り越えるときは、むちゃくちゃ時間がかかった。
今も胸が痛むけど、おれは父が骨折をしたり、(万一いきなり起き出して、別の患者さんとぶつかったりして)怪我をさせたりするよりも、睡眠時の胴抑制を選ぶ。それでも、おれは「ありのままの父を受け止める」ことがなかなかできないでいる。
父が不機嫌な顔をすれば辛く、イライラして乱暴になれば悲しい。おれの顔を見て、「誰ですか」ということが、たまらなくさびしいのだ。家に戻ってから、今日は涙が止まらなかった。
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漢方薬の副作用
http://scallops.exblog.jp/3793280/
2006-07-10T10:06:00+09:00
2006-07-11T12:35:00+09:00
2006-07-11T10:11:26+09:00
scallops
認知症
ここんとこ、父の様子はいいばかりではなかった。
1月の「最悪の状態」から考えれば、かなりよくなっている。けど、冷静に見るとね、ある一定の状態以上にはならないのだ。もちろん肌の色は悪くないし、カサカサもだいぶよくなっているけど、冷えはとりきれてなく、元気もイマイチだったりする。
今回、表とにらめっこしてじっくり血液検査の結果を見たら、小さな問題がいくつもあった。どれも、西洋医学的には、いますぐどうのという重篤なものではない。けど、分子栄養学の考えで見ると、結構気になることが多いんだよね。もちろん漢方薬によってよくなった症状もあるから続けて飲んでるんだけど、これまで問題がなかった数値に問題が出てきているから、その異常は漢方薬の投与による副作用の可能性があるのだ。
高齢者の漢方薬投与を考えたときに、病院で処方してもらう利点はここにあるのだ。
定期的な血液検査で異常を数値で測れるから、早い段階で手が打てる。で、和漢の先生ももちろん西洋医という立場からこの数値を見るから、異常があれば問題視する。で、「肝機能の低下」さらに「低カリウム血症」の可能性があるといわれる。あうあうあう。今回、問題があったのは、下記に記した3カテゴリの数値。なかなかうまくいくもんじゃないよね。うう。
で、どういう対策になったかというと、「カリウム剤の投与」と、しばしの「現状見守り」。
まったく、心配はつきないもんだね。医学的にはまだ、それほど重要視されない程度なので、来月まで様子を見ることになった。で、おいらができることは、分子栄養学の勉強。また新しい本を取り寄せちったよ。血液検査の数値の見方が、西洋医学とはちょっと違ってくるからね。これは、医者だって見逃してるってはなしだし。まー、基準範囲から出ているからといって、それが必ずしも異常というわけではないので、心配しすぎないようにするけど。でも、勉強はしちゃうんだ。ぶぶぶ。
【今回の検査でひっかかった数値】
GOT (11~35) アスパラギン酸トランスアミナーゼ *63
GPT (6~39) アラニントランスアミナーゼ *46
LDH (115~245) 乳酸脱水素酵素 *252
※肝臓の細胞が壊れると増加するため、肝細胞の障害の程度を示す。
肝臓以外の病気でも増える場合がある。
クレアチニン (M0.61~1.04) *0.45
K (3.5~5.0) カリウム *2.9
※血液中の電解質の濃度。腎臓の病気やホルモンの異常、脱水などで増減する。
RBC (M438~577)赤血球数 *346
血色素量 (M13.6~18.3) ヘモグロビン *11.4
HCT (M40.4~51.9) ヘマトクリット値 *35.7
MCV (M83~101)平均赤血球容積 *103
※ヘモグロビンは赤血球に含まれる酸素を運ぶための赤いタンパク質、ヘマトクリットは血液の中で赤血球が占める容積の割合。上記3つとも血液中の赤血球の量を示す検査で、貧血では低下。また、これらが増加している場合は多血症を示す。MCVは赤血球の大きさを表す。貧血を分類するときに役立つ。
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介護鬱
http://scallops.exblog.jp/3793268/
2006-07-09T09:55:00+09:00
2006-07-11T10:14:30+09:00
2006-07-11T10:06:43+09:00
scallops
家族
いつもよりよくしゃべる父と会話(にならない会話)をしながら、しばらく待って、ようやく名前を呼ばれる。今日の診察の順番は、母→父→おいら。
母は、この3ヶ月で、見違えるように元気になった。まだ咳が残り、疲れやすいのは気になるんだけど、これは年齢のせいもあるわけで、多少のことは仕方がないと思っている。
ブログには詳細を書かなかったけど、先日祖母の家へお中元のご挨拶にいったとき、親戚から「4月の法事には(母の)鬱をうたがっていた」といわれたのだった。今回、急に元気になっ(て毒舌が再開し)た母を見て、オドロキ、「ほんとによかった」といってくれた。口が悪くて「よかった」といわれるなんて、ほんとに母は幸せ者だと思う。
そして母の体調をおかしいと思っていたのは、おれだけじゃなかったんだなぁとぼんやり思った。おいらが心配しはじめたのは1月末に、倒れてからのこと。その後「治った!」と頑なだった母を、すぐ病院へ連れていきたかったんだけど、2月と3月は、本人がむちゃくちゃいやがっていて、そのことで毎回ケンカになった。本人も「おかしい」ことには気づいてたけど、認めるのがイヤだったのだろう。
父の和漢治療が始まり、外からみても元気になったのがわかるくらいによくなり、それを見て母が「和漢ならいってみてもいいかも」と思い始めたのが3月のこと。すでに母のことを医師には相談し、予約を入れてあったので、「とりあえず、一度いってみようね」と母にいった。
それが確か3月の終わりか4月のはじめのこと。最初の診察で母は、「どこも悪くないんです」と医者にいい放った。先生には、たぶんそういうと思う、と告げてあったので、驚かず笑って聞いてくれた。
診察後にもらった漢方薬を、最初は「匂いがイヤ」とか「飲みにくい」とぶつぶついい、効果もイマイチわからなかったらしく、飲んだり飲まなかったりの繰り返し。具合悪そうにしていると、おれが「ちゃんと薬を飲みなさい」とうるさくいうので、いやいや、しかたなく飲んでいたのだと思う。それでも、やっぱりすこしでも体調が変わってくれば、自分でもわかるようになる。
先生もおいらも、6月の診察時には、母の声のハリがまったく違っていたので、いい方向にいってると思った。けど、母自身はまだ実感としては感じてなかったようで、本人がようやく「楽になった」と思ったのは、つい最近のことだ。
この日の診察では、「五十肩の痛みがとれた」とか、「漢方薬を飲むと咳が楽になる」など、ようやく、前向きな言葉がでてきた。
たとえばいきなり熱が出たり、お腹が痛くなるような不調と違い、蓄積疲労によるものはすこしずつ悪くなってくるものだから、本人にはなかなか実感できないんだよね。多少辛くても、「そんなもん」だとガマンしてしまう。実際に治って、楽になってみないとわからないのかもしれない。
でも最近母は、起きてる時間もだいぶ増えてきて、声も大きくなっている。顔色もまったく違う。なにより、笑顔が見えるようになったこと、外出しようと思う気力ができてきたことは、ほんとうにうれしく思う。
もちろん、まだ母が完全に治ったとは思ってない。けど、たぶんあれは「介護鬱だった」と、今ならいえる。母自身が「あのときはおかしかった」と、口に出せるようになった。それって大きな進歩だよね。そして、母だけじゃなく、たぶんおいら自身にも、その兆候があったことを、今なら自分でも認められるのだ。
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外来診療
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2006-07-08T09:36:00+09:00
2006-07-11T12:40:56+09:00
2006-07-11T09:55:00+09:00
scallops
認知症
月に一度の和漢診察日。父の診察がメインだが、母と、ついでにおれも診てもらっている。外へ出ると、なんだか雲行きが怪しい。どうか、雨が降りませんように。
朝7時すぎに家を出て、高速を飛ばし、8時に入院先の病院へ到着。今日はめずらしく着替えと歯磨きが済んでいた。ちょっとびっくり。昨晩、ナースステーションに念押ししといた甲斐があったのかな。来月もそうしようっと。あとは、冷房対策のジャケットだけ選べばいい。そうそう、それからカギのついたロッカーから靴を出してもらわなくちゃ。靴を忘れたらえらいこっちゃだ。
とりあえずジャケットをとりにいこうと、父を連れて部屋へ戻ると、入院患者のAさんが車イスで父の部屋へ入りこみ、なにやら大声で叫んでいた。父は声の大きな患者さんが苦手で、そのストレスから不穏になってしまうため、車イスごと父を廊下に放置して、おいらだけ部屋へ入った。
Aさんに限らず、他の患者さんが部屋に入ってきたり、引き出しをさぐるのはいつものことだ。だから、父の部屋に他人がいるくらいでは、特にもう気にならない。けど、聞いてて耳の奥がビリビリするほど大声で騒いでいる内容が、最初はまったく聞き取れず、申し訳ない気持ちになった。しばらくは、Aさんのことをボーっと見つめてしまったりして。
わからないのに聞いていても仕方がないので、あんまり気にしすぎないようにしようと、後ろを向いてジャケットを選んでいたら、急に、Aさんの目的は部屋の奥にいるポータブルトイレ子ちゃんで、「便がしたい」と叫んでいるような気がしてきた。
振り向いて「(車イスの裏に書かれた名前をチェックし)○○さん、お手洗いにいきたいんですか?」と聞くと、咆哮に近い声で「そうなんだよぉー」と叫んだ。
便意を伝えられるのは、大切なことだよね。「そっか、それは急がなくちゃいけませんね。今、スタッフさん呼んできますから待っててください」といって、(「このうるさいのをどうにかしろ」と騒ぐ父を廊下に放置したまま)介護士さんを呼びにいき、トイレへ連れていってもらった。おれとしては、父のポータブルトイレを使ってもらっても別に構わないと思ったのだが、病院としてはまずいみたいだった。って、当たり前なのか。ぶぶぶ。
で、おいらはぷんぷん怒っている父に、白と黒のトラックジャケットを見せ、「どっち着る?」と選んでもらうことにした。最初は「わからない」と無視してたが、そのうち黒いジャケットに手を伸ばしたので、それを父にもたせ、白いジャケットを引き出しに戻す。黒は2年前に地元のデパートで、白は2月に香港で買ってきた。いずれもおれが選んだものだ。
前日に頼んでおいた血液検査の結果をもらい、外出届を出し、念のためおむつとパッドの換えをもらって外出。病棟を出た瞬間、エレベーターホールで冷房が強くなって、父がいきなり怒っておいらに殴りかかろうとしたので、あわてて後ろに回ってジャケットを着せる。
雨を覚悟していたが、どうにか天気は持ち直してくれた。夏場は、天気がくずれなければとりあえず父へのストレスが少なく、通院する作業もスムーズでありがたい。
今日は母も同時に診察を受けることになっている。
先生が、「両親を別々に連れてくるのは大変だから」と、そのように予約日を変更してくれたのだ。ただ、母を早朝出発のお迎えのために、2時間も前から同行させるのは気の毒なので、時間通りひとりで病院へ行っていてもらって、受付で合流した。
いつもは、おいらひとりでやるけど、今日は母にサポートが頼める。これも母が元気になってきたから、可能になったことだ。と、おれが感慨深く思ったのもつかの間、受付を終えた母が「じゃぁね」と、ひとりで外来の受付にいこうとするので、「ちょーーーーーーーーっと待ったー!」と呼び止める。で、「今日はちゃんと手伝わなくちゃダメだよ。せめて、エレベーターのボタンを押して」と厳重注意。「う、ひゃ~、それもそうよね」といった。悪気があるわけじゃなく、ただ、ほんとーに気づいていないのだ、うちの母は。
それから30分後、父とおいらの予約と受け付けも、どうにかスムーズに終える。
たぶんこれから1時間は軽く待つことになるので、タイミングを見計らって父にジュースを飲ませる用意をしてきている。母はこういうことをすごく面倒くさがって、「そんなことをしなくても平気」と、おれの作業を止めようとし、そんなちっさいことがすごいストレスになる。でも、おれはマイペースを貫くんだもん。今日は、以前、蟹やんから教えてもらった紫蘇ジュースをペットボトルに入れて、こっちょり持参した。
いつも父が病院でおやつのジュースをもらう10時を過ぎたので、待合いロビーにて、用意した紙コップにショッキングピンクのジュースを注ぎ、トロミアップぱーへくとでトロトロにして、父に渡す。色が色なので、たれたら服が赤く染まってしまうため、胸元にはタオルをかける。
待合室の患者さんが、興味深そうにおれの手元を見つめていた。母はこのジュースを「すっぱい」といって飲めなかったが、父は「うまいッ」といってごくごく一気に飲んでくれた。砂糖の代わりにハチミツで甘みをつけてある。ミネラル分がふんだんに入っているから、父の健康にもいいはずで、蟹やんにはチョー感謝なのだ。
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それぞれの七夕
http://scallops.exblog.jp/3773930/
2006-07-07T23:15:00+09:00
2006-07-08T07:53:58+09:00
2006-07-08T00:47:01+09:00
scallops
家族
朝早く、母が居間でテレビをみながらとつとつとしゃべりだした。
戦争中、母が小学生だったとき、大きな空襲に遭った。長女だった母は当時高学年で、まだヨチヨチ歩きだった幼ない弟の手を引き、低学年の妹を連れ、乳児だった下の弟を抱いた祖母とともに、すぐ近所の防空壕へ逃げた。
空襲はますますひどくなり、あまりの爆撃のひどさに「ここでは危ない」と判断。近くの田んぼまで必死で走っていったという。そのときに祖母が「ものをとりにいってくる」と家へ戻ろうとするのを、「『今いったら危ないからやめて』と、必死で止めた」そうだ。
延々と止むことがないと思うほど恐ろしかった時間も、あとで考えればほんの数十分。
どんなに耳をふさいでも全身に響いてきた爆撃の音が、いきなり、うそのように静かになった。どうにか家族は無事に生き残ることができ、家へ戻ってみると、周囲は爆撃によって亡くなった人たちが、恐ろしいほどたくさん、静かに横たわっていたという。
「(あちこちに死体が並ぶ様子は)ほんとうにひどかった」。下を向いたまま、母は首をふった。
焼夷弾が直撃した門は大きな炎を上げて燃え、屋根も壁もぼろぼろになったが、家の機能はどうにか果たせるくらいに残り、その後もどうにか変わらずに生活をすることができた。しかし、それでもなお、母の脳裏には今でも決して忘れられないくらい、当時の惨状が鮮明に焼きついている。
「これからどうやって生活していけばいいのだろう」。
家族で途方にくれていたとき、大伯父(祖母の兄=母にとっては伯父)と曾祖母(祖母の母=母にとっては祖母)が、いきなりやってきた。
隣の市(当時は町)に住んでいた曾祖母は、瓦礫の中を何時間もかけ歩き、おにぎりと野菜をもって見舞いにかけつけた。嫁にいった娘の家族が住むはずの街全体が、赤々と燃える様子を遠目に見て、「あんなにひどい様子ではもう、全員がだめかもしれない」と思いながら、だけど「万にひとつの無事」を信じて、諦めずに足を進め続けてくれたという。だって家族だから、ね。
隣のキッチンで朝食の納豆をぐるぐるかきまぜながら、なんだか思わぬ話の展開に、おれはボロボロ涙を流していた。そんなことを知らない母は、居間に座ったままで、いった。
「だから、七夕はだいきらいなの」。
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一族のドン
http://scallops.exblog.jp/3753395/
2006-07-04T17:44:00+09:00
2006-07-04T20:00:34+09:00
2006-07-04T17:44:53+09:00
scallops
家族
96歳祖母はボケ知らず。子供や孫より頭がシャープで怖いくらい。
ふだん「不調が当たり前」なしとばかりを看ているので、たまに祖母と会うと、(脳が)健康なまま年を重ねるというのは、こういうことをいうんだなと背筋がビッと伸びる思い。なんというか、むちゃくちゃ刺激的なんだよね。
もつろん父は病気なわけで、(祖母が健康でどんなにかっくいいからといって)別に祖母と父を比べてるわけではなく、ただ単純に「すごい人もいるもんだ」と客観的に思っちゃうのだ。で、そうはいっても、祖母のとこへいけば、尊敬とか敬意とかいう前に、思わずぎゅぅぅっと抱きついたりハグハグしたりしまくるんだしね。いっそにいる間は、お手手もつなぎ放題。だって、おばーちゃん、やわらかくてかわいいんだむぉん。
夏には「お中元」、冬には「お歳暮」と称して、叔母ふたりと母が祖母のモトを訪れる。
目的は「贈答」ではなく、あくまで「顔見せ」。実際に足を運び、お昼ごはんを共にして、会話をもつことがだいじなのである。もう数十年も続く、ほたて親族の習慣だ。まぁ、会話といっても、この日めっさ白熱したのはもっぱら健康と年金問題だったけどね。ぶぶぶ。
足が不自由とか、ペースメーカーとか、耳が聞こえない、片方の視力はNGなど、同じボディをたいせつに、これだけ長く使っていれば、多少の不具合はでてくる。それは、にんげんとして自然なことだと思うんだけれども、それは年齢が半分にも満たない若輩者の無神経な感想だ。実際に不自由を感じている身として、祖母自身は自分で「情けない」と感じるようである。親戚一同でどんなに祖母の健康に感服しても、明治生まれの男前な祖母が、現状に心から満足することはない。
幼少時一緒に住んでさんざん世話になった祖母には、常に、孫として「なにかしたい」と思っているんだけれど、それが祖母からすると「逆だろ!」ってことらしく、何度もダメだしをくらう。たとえばいっそに食事をしてレストランで勝手に(おれが)お金を払うとね、「それは筋が違う」とかいわれるわけ。そんなことで何度も叱られるんだよね。
「え・・・・」って感じじゃね? 思わず絶句するというもの。「なにがわるいんやろ・・・」って、真剣に考えちったよ。あはは。おれとしては、96歳ともなれば隠居してて当然、してもらって当たり前って思ってしまっているトコロがあるわけで、だけど実際のところ、祖母はいまだに自立しているのだ。そしてそれこそが、今の祖母の自信につながっている。
つまり、祖母の「母として子らに」「祖母として孫らに」、たとえ96歳という高齢になっても、一族のドン(!)として、ごちそうをしてあげ(られ)る幸せを奪ってはいけないということのようだった。96歳になって、同居する長男家族とは世帯が別で、現在も扶養家族ではないという祖母。常に緊張感と問題意識を持ち続け、小言もはっきりといい、御歳over70からの子供たちを叱りとばす。なんかさ、このへんにボケない秘密がありそうやね。
最近はだいぶ慣れてきたので、おれも孫として甘え放題しているが、ときどき「でも・・・・」「やっぱり、違う気がする」「社会的にはどーなの?」と、もやもやすることがある。ま、うちはうちだし、きっとそういうのもアリだろうし、そうすることで祖母が元気だったら、それが一番なんだけどね。
で・・・・、今日は母が病院に。今日のパパはでんでんNGだったらすぃ。がっくり肩を落として帰ってきた。けど、ま、こんな日もあるさ。明日も踏ん張るど!
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憂鬱スパイラル
http://scallops.exblog.jp/3738656/
2006-07-02T03:43:00+09:00
2006-07-02T09:52:40+09:00
2006-07-02T03:43:37+09:00
scallops
入院
アマゾンから、注文していたレビーの本が届いた。
「Dementia with Lewy Bodies」。イギリスで出版されたDLBDの専門書である。翻訳ソフトと辞書はもちろん使うけど、さて、おれなんかに読めるんだろうか。英語もろくすっぽしゃべれない素人がこんなものを手に入れて、なんか意味があるんだろうか。父の介護に生かせることが、ほんとうにあるんだろうか。これって、めっさ無駄な出費かもしれない。決して安い本じゃないしなぁ。でも、おれは、わからないからやってみようと思ったのだ。たとえ、ばかばかしくても、やらないより、やって失敗したほうがいい。
ざっと目を通してみたら、ぜんぜんわからなかった。当たり前だな。ぎゃはは。
けど、小阪先生のレポートと通じる単語が随所に出てきたり、小阪先生や若林先生ご自身の名前など、おれが集めた文献の作者名があちこちに出てきて、そんなことだけでちょっと興味がもてた。でも、そこまで。あまりに単語がわからなすぎて、日本語でも英語でもむずかしさは同じって感じ。ひどすぎるよね。ぶぶぶ。ただ、日本で出ている資料の出所がこれのようで、やっぱり情報を得るためには役に立ちそう。もちろん、読めれば、なんだけどね。あははー、だ。
夕方、高速を飛ばして病院へ。パパは、なんだかとてもぼんやりしていた。
ジメジメした気候のせいもあるんだろーけれど、こういう日はおれ自身がとても憂鬱になる。もつろん、そんな悲しい顔をパパには見せない。けど、いつもとかわらないように笑顔でいたとしても、心の中はどんより。自分には隠せないもんね。
在宅で介護できたら、もっと笑顔が見られるのではないか、せめてもっと頻繁に病院へ通うことができたら・・・・。今はそれが無理だから、入院しているのだけれど、こういう日には、悩んでも仕方のない思いが頭のなかをぐるぐる回り続けて、憂鬱スパイラルに陥る。
DLBと診断される父の病状は、とにかく「日内変動が激しい」と、医師からはいわれている。
何度となくブログにも書いているし、自分でもわかりすぎてるわけで、「あまり気にしない」よう自分には言い聞かせるが、パパの症状やちょっとした言動など、実際にはほんの些細なことで、おいらは毎回一喜一憂する。しかたないよね。だって家族だもん。やっぱ、できれば笑顔でいて欲しい。ただひたすら笑顔が見たい。これは子供のエゴだけど。
ジメジメは、おれの精神状態もジトジトさせるんだなぁと思った。
夕食&桃ゼリー後、父はとても辛そうにしてた。なんだかとっても疲れて見えた。立ち上がることすら困難。それでも無理やり、車イスのまま回廊へ連れ出し、しつこく話しかける。靴下を脱がせたら、ゴムの跡がくっきり。やっぱむくんでいる。足裏マッサージを、廊下の隅で、左足から始める。痛さで顔をしかめるが、このむくみがとれればすこしは楽になるはずだ。
血行がよくなったら、父がうとうとしはじめたので、あわてて部屋へ戻り、ベッドに寝かせた。目をつぶってもまだ、ブツブツいっているのだが、おいらは気にせず、残りの右足を丹念にマッサージしてむくみをとることにした。途中からすでに父は爆睡。きっと気持ちよかったんだろう。そう思えばやりがいがある。今の時期、パパよりはるかに若いおいらでもカラダが重いし、ぼよぼよしんどいもんね。笑顔がなくったって、そりゃしかたないよな。
で。以前から気になっていた爪白癬を、しっかりチェックしてみる。とりあえず、家から持参した軟膏を塗っておく。本来は飲み薬で治療するはずなので、こんなことをしても焼け石に水だろうけど。でも、すこしでもよくなって欲しいもんね。小さなことからコツコツとだ。
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