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![]() 1月の「最悪の状態」から考えれば、かなりよくなっている。けど、冷静に見るとね、ある一定の状態以上にはならないのだ。もちろん肌の色は悪くないし、カサカサもだいぶよくなっているけど、冷えはとりきれてなく、元気もイマイチだったりする。 今回、表とにらめっこしてじっくり血液検査の結果を見たら、小さな問題がいくつもあった。どれも、西洋医学的には、いますぐどうのという重篤なものではない。けど、分子栄養学の考えで見ると、結構気になることが多いんだよね。もちろん漢方薬によってよくなった症状もあるから続けて飲んでるんだけど、これまで問題がなかった数値に問題が出てきているから、その異常は漢方薬の投与による副作用の可能性があるのだ。 高齢者の漢方薬投与を考えたときに、病院で処方してもらう利点はここにあるのだ。 定期的な血液検査で異常を数値で測れるから、早い段階で手が打てる。で、和漢の先生ももちろん西洋医という立場からこの数値を見るから、異常があれば問題視する。で、「肝機能の低下」さらに「低カリウム血症」の可能性があるといわれる。あうあうあう。今回、問題があったのは、下記に記した3カテゴリの数値。なかなかうまくいくもんじゃないよね。うう。 で、どういう対策になったかというと、「カリウム剤の投与」と、しばしの「現状見守り」。 まったく、心配はつきないもんだね。医学的にはまだ、それほど重要視されない程度なので、来月まで様子を見ることになった。で、おいらができることは、分子栄養学の勉強。また新しい本を取り寄せちったよ。血液検査の数値の見方が、西洋医学とはちょっと違ってくるからね。これは、医者だって見逃してるってはなしだし。まー、基準範囲から出ているからといって、それが必ずしも異常というわけではないので、心配しすぎないようにするけど。でも、勉強はしちゃうんだ。ぶぶぶ。 【今回の検査でひっかかった数値】 GOT (11~35) アスパラギン酸トランスアミナーゼ *63 GPT (6~39) アラニントランスアミナーゼ *46 LDH (115~245) 乳酸脱水素酵素 *252 ※肝臓の細胞が壊れると増加するため、肝細胞の障害の程度を示す。 肝臓以外の病気でも増える場合がある。 クレアチニン (M0.61~1.04) *0.45 K (3.5~5.0) カリウム *2.9 ※血液中の電解質の濃度。腎臓の病気やホルモンの異常、脱水などで増減する。 RBC (M438~577)赤血球数 *346 血色素量 (M13.6~18.3) ヘモグロビン *11.4 HCT (M40.4~51.9) ヘマトクリット値 *35.7 MCV (M83~101)平均赤血球容積 *103 ※ヘモグロビンは赤血球に含まれる酸素を運ぶための赤いタンパク質、ヘマトクリットは血液の中で赤血球が占める容積の割合。上記3つとも血液中の赤血球の量を示す検査で、貧血では低下。また、これらが増加している場合は多血症を示す。MCVは赤血球の大きさを表す。貧血を分類するときに役立つ。 Blog Runking of Welfare and Nurse ←問題って、無尽蔵にでてくるね・・・ ■
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by scallops
| 2006-07-10 10:06
| 認知症
![]() 朝7時すぎに家を出て、高速を飛ばし、8時に入院先の病院へ到着。今日はめずらしく着替えと歯磨きが済んでいた。ちょっとびっくり。昨晩、ナースステーションに念押ししといた甲斐があったのかな。来月もそうしようっと。あとは、冷房対策のジャケットだけ選べばいい。そうそう、それからカギのついたロッカーから靴を出してもらわなくちゃ。靴を忘れたらえらいこっちゃだ。 とりあえずジャケットをとりにいこうと、父を連れて部屋へ戻ると、入院患者のAさんが車イスで父の部屋へ入りこみ、なにやら大声で叫んでいた。父は声の大きな患者さんが苦手で、そのストレスから不穏になってしまうため、車イスごと父を廊下に放置して、おいらだけ部屋へ入った。 Aさんに限らず、他の患者さんが部屋に入ってきたり、引き出しをさぐるのはいつものことだ。だから、父の部屋に他人がいるくらいでは、特にもう気にならない。けど、聞いてて耳の奥がビリビリするほど大声で騒いでいる内容が、最初はまったく聞き取れず、申し訳ない気持ちになった。しばらくは、Aさんのことをボーっと見つめてしまったりして。 わからないのに聞いていても仕方がないので、あんまり気にしすぎないようにしようと、後ろを向いてジャケットを選んでいたら、急に、Aさんの目的は部屋の奥にいるポータブルトイレ子ちゃんで、「便がしたい」と叫んでいるような気がしてきた。 振り向いて「(車イスの裏に書かれた名前をチェックし)○○さん、お手洗いにいきたいんですか?」と聞くと、咆哮に近い声で「そうなんだよぉー」と叫んだ。 便意を伝えられるのは、大切なことだよね。「そっか、それは急がなくちゃいけませんね。今、スタッフさん呼んできますから待っててください」といって、(「このうるさいのをどうにかしろ」と騒ぐ父を廊下に放置したまま)介護士さんを呼びにいき、トイレへ連れていってもらった。おれとしては、父のポータブルトイレを使ってもらっても別に構わないと思ったのだが、病院としてはまずいみたいだった。って、当たり前なのか。ぶぶぶ。 で、おいらはぷんぷん怒っている父に、白と黒のトラックジャケットを見せ、「どっち着る?」と選んでもらうことにした。最初は「わからない」と無視してたが、そのうち黒いジャケットに手を伸ばしたので、それを父にもたせ、白いジャケットを引き出しに戻す。黒は2年前に地元のデパートで、白は2月に香港で買ってきた。いずれもおれが選んだものだ。 前日に頼んでおいた血液検査の結果をもらい、外出届を出し、念のためおむつとパッドの換えをもらって外出。病棟を出た瞬間、エレベーターホールで冷房が強くなって、父がいきなり怒っておいらに殴りかかろうとしたので、あわてて後ろに回ってジャケットを着せる。 雨を覚悟していたが、どうにか天気は持ち直してくれた。夏場は、天気がくずれなければとりあえず父へのストレスが少なく、通院する作業もスムーズでありがたい。 今日は母も同時に診察を受けることになっている。 先生が、「両親を別々に連れてくるのは大変だから」と、そのように予約日を変更してくれたのだ。ただ、母を早朝出発のお迎えのために、2時間も前から同行させるのは気の毒なので、時間通りひとりで病院へ行っていてもらって、受付で合流した。 いつもは、おいらひとりでやるけど、今日は母にサポートが頼める。これも母が元気になってきたから、可能になったことだ。と、おれが感慨深く思ったのもつかの間、受付を終えた母が「じゃぁね」と、ひとりで外来の受付にいこうとするので、「ちょーーーーーーーーっと待ったー!」と呼び止める。で、「今日はちゃんと手伝わなくちゃダメだよ。せめて、エレベーターのボタンを押して」と厳重注意。「う、ひゃ~、それもそうよね」といった。悪気があるわけじゃなく、ただ、ほんとーに気づいていないのだ、うちの母は。 それから30分後、父とおいらの予約と受け付けも、どうにかスムーズに終える。 たぶんこれから1時間は軽く待つことになるので、タイミングを見計らって父にジュースを飲ませる用意をしてきている。母はこういうことをすごく面倒くさがって、「そんなことをしなくても平気」と、おれの作業を止めようとし、そんなちっさいことがすごいストレスになる。でも、おれはマイペースを貫くんだもん。今日は、以前、蟹やんから教えてもらった紫蘇ジュースをペットボトルに入れて、こっちょり持参した。 いつも父が病院でおやつのジュースをもらう10時を過ぎたので、待合いロビーにて、用意した紙コップにショッキングピンクのジュースを注ぎ、トロミアップぱーへくとでトロトロにして、父に渡す。色が色なので、たれたら服が赤く染まってしまうため、胸元にはタオルをかける。 待合室の患者さんが、興味深そうにおれの手元を見つめていた。母はこのジュースを「すっぱい」といって飲めなかったが、父は「うまいッ」といってごくごく一気に飲んでくれた。砂糖の代わりにハチミツで甘みをつけてある。ミネラル分がふんだんに入っているから、父の健康にもいいはずで、蟹やんにはチョー感謝なのだ。 Blog Runking of Welfare and Nurse ←紫蘇ジュースはうまいだね! ■
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by scallops
| 2006-07-08 09:36
| 認知症
![]() 介護保険に関するサイトの中ではときどき見かける「老人の日常生活自立度判定基準」というモノだ。 「気になる」といっても、ただなんとなくいろんなところで目にしていたというだけで、利用者家族であるおいらが、実際に在宅介護しながらこの数字を気にする場面は、これまでに一度もなかった。いちばん最近見かけたのは、こないだ幕張メッセで行われた研究発表会でのこと。もらった資料のひとつに、「病院に入院中の認知症患者の内訳」として、この基準を使った表が記載されていた。 たとえば要介護者が100人いたら、100通りの介護があるってよくいわれる。これはまったくそのとおりで、ひとりひとりに必要とされる介護はそれぞれに違うし、かかわる家族の事情だっていろいろだから、その「たいへん」は比べようがないんだよね。 本人だけのことを考えても、同じ要介護5という数字でも、そうなった原因や、病気による障害の度合いはもちろん、見た目も、動く体の部位も、ADLだって違うわけで。そんな患者の状態や、実際に介護する家族のたいへんさを、一律に数字で表すなんて、ほんとは不可能なはなしという気がするの。でも、介護保険を施行していくからにはなんらかの基準は必要だから、こういう判定基準はなければ困る。それはわかるんだけど、実際問題としてやっぱ無理があるんだよなぁ。なんて感じで、こういうのん見てると、建前と矛盾と葛藤がぐるぐる無限の追いかけっこをしてる気がしてくるのだ。 在宅だけでなく、施設や病院でだって「実際の介護を行ううえで」こんな基準はなんの役にも立たないかもしれない。だからほんとにこれが一般的に通用してるかどうかもわからないんだけれど、研究発表会みたいな(さまざまな職種で介護に関わる人が集まる)場所で、客観的な立場から資料を見る人に対しては「確かに(要介護度を聞くよりは、はるかに)目安にはなるな」と思った。渦中にあると、見えてこないことがたくさんあるもんだね。 その基準には2種類の数字がある。 ひとつが「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」、もうひとつが「痴呆性老人の日常生活自立度判定基準」。前者は平成3年に、後者は平成5年に、それぞれ厚労省が作った(だから表記は「認知症」や「高齢者」「患者」などではなく、「痴呆」だったり「老人」のまま)。資料の表には、縦軸と横軸にそれぞれこの基準値がかかれていて、ふたつが交わった場所に患者数が書かれている。でね、この表を見ながらおれは、「父は、この基準でいくとどのへんにいるんだろう」と思ったわけ。 障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準 表を見ればわかるけど、障害老人自立度は、ランクが大きく「自立」「準寝たきり」「寝たきり」の3つに分かれる。そこから状態に応じて、それぞれ2つのレベルが作られている。自立がJ1とJ2、準寝たきりがA1とA2、寝たきりはB1,B2、C1、C2という表内の基準で分けて評価されるのだ。そして、痴呆性老人の日常生活自立度判定基準は、可能なADL(日常生活動作)のレベルや問題行動の有無によって、Ⅰ、Ⅱ、Ⅱa、Ⅱb、Ⅲ、Ⅲa、Ⅲb、Ⅳ、Mと、9段階に分けられる。 PD(パーキンソン病)で、身体的に動けない寝たきりでも頭がクリアなうちの伯母のような人もいれば、カラダはなんも問題がなく四肢は(機能的には)動けるはずなのに、DLBにより(脳内での指令伝達がトラブってコントロールが不能だから?)うまく動けないという父のよううな人もいる。 同じ「レビー小体」という原因による病気で、書類上では「動けない」ことに変わりはなく、レベルも同様に要介護5、けど父には運動能力は残っているわけで、父は純粋な意味での寝たきり患者とは呼べない気がするのだ。じゃあどっちがたいへんかっていうと、動けない認知症のない女性でなく、動ける認知症男性のほうが、「介護」という面からいくと施設も病院も「お断り」頻発の、「いちばん苦労するレベル」として扱われる。 さて、じゃあこの評価基準はどうなるんだろう。 父の個人的な数値を聞くとしたら、やっぱ病院のスタッフに尋ねるしかない。で、それから病院に行くたびに毎回、「今日こそは聞こう」と思っていたが、いざ聞こうとすると「若い介護士さんに聞いてもわからないだろうしなぁ」とか、「忙しいときに手をわずらわせたくないしぃ」とか、父が不穏すぎた日はようやく寝たことにホッとした瞬間にうっかり病院の外へ出てしまったりと、タイミングがうまく計れずにいた。 という経緯があっての、昨日。(ものすごく気が利くわ、やさしいわ、なにを聞いてもビシッと応えてくれ、しかも美しくてスタイルまでいい)ベテラン介護士さんが、タイミングよくいらしたので、聞いてみた。彼女は質問の内容をすぐに理解して調べにいってくれたが、その一瞬の反応で、やっぱりこの現場で「(数値で見る)その基準」はあんまり関係ないのだろうなと思った。 そのうち、別のしごとをしていた看護師長さんがNSへ戻っていらして、その資料をコピーしていただけることになった。師長さんと一緒にコピー機のある部屋へ向かいながら、「えと、あ、あの、それで父の状態はどのへんになるんでしょう」と、直球でうかがってみた。師長さんは、「はっきりと数字を出すためにはドクターの意見も聞かないと」と前置きしながらも、(師長が考える)だいたいの数字を教えてくださった。 障害老人自立度がB2、痴呆老人自立度がⅣとMの中間あたり(たぶんMになるだろうとのこと)。ちなみにMというのは、Medicalの略である。ああ、そりゃ確かに、うちの父は医療保護入院中だよな。けど・・・、おれは正直この措置が一過性のものだと考えていたのだ。この数字は、おいらが自分で想像していたよりも、だいぶ悪い数字だった。 あとで調べてみたら、これは要介護認定を行うときに使う基準のひとつで、訪問認定員が使う調査票や、主治医の意見書に項目のひとつとして使われているのだった。昨年、父が要介護5になったときにはすでに、きっとこの数値はかなり厳しいものだったんだろうと思った。あれから、さらに状態はわるくなってきているわけで、ちょっと悲しいけれど、だったらこの結果もやむなしということなのか。 たとえ数字がひどくたって、むかしちょー頭がよかった父にはなんの変わりもない。 もつろん、おいら自身の父に対する気持ちにも変化はないんだけど・・・・、「そこまでむずかしい状態なのか」という(医療の現場から見た)客観的評価は、おいらが再再々度の在宅介護に即行で踏み込めないでいるのが、(数値でもたいへんだと表されてしまうほど)厳しいと、自然と体で拒絶反応を起こしていことによるのかなぁとか自分で分析してしまうのだった。 「きっとなんの役にも立たない」と思っていた判定基準だったが、うっかりのぞいてしまったことで、それが自分の心のなかにわだかまりを残すという意外な結果になってしまった。一度主治医ときちんとはなさないとなぁ。 Blog Runking of Welfare and Nurse ←それでも「うちで看る!」って、 去年だったらいってたと思う。今は、それがいえないでいることがすこし悲しい・・・・ ■
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by scallops
| 2006-06-23 17:12
| 認知症
![]() おれは「漢方薬が変わって血行がよくなったために、かゆみが起きたんじゃないか」とカル~く思ってたんだけど、医者の見立ては、もっとずっとイヤ~なものだった。疥癬は、ヒゼンダニが起こす皮膚感染症。他人への感染率が高く、ひどいときには隔離が必要になることもあって、もちろんイノチには別状ないんだけど、ちょっとめんどい病気である。 以前、一度、ショート先の特養でも「疥癬疑惑」をもたれたことがあった。 その施設で流行ったことがあって、それが感染した「かもしれない」とのことだった。「疑いあり」といわれると、別のデイ施設は利用がNG。「入浴があるので、医師に診断書を書いてもらわないとだめ」といわれ、自宅待機になった。結局それは疥癬ではなく、単なる乾燥による湿疹ちうことで事なきを得たけど、とにかくこれはもう疑惑だけでもやっかいなのだ。 連休中の診察がなくなり、今週、専門医に診てもらうはずだった。けど、かゆみを抑える軟膏だけでよくなってきたので「疑いは晴れました」とのこと。疥癬だったら、その薬じゃ効かないそうだ。とりあえず今回も自然によくなり、明日の診察はなくなった。ラッキー。 病院へ着いたのは食事の直前。すでに全員テーブルへ着いている。いつもの席にいる父が、おれの顔を確認すると、パッと笑顔になって、大きく手を振った。わ、こんな反応、久しぶりやんか。「パパー、気分よさそうじゃん。どお?」と声をかけたら、同じテーブルに着いているG子さんに向かって、ひゃっひゃっひゃっと笑いながらいった。 「これね、うちの娘なんですよ」 「!」 「もうね、いっつも全力投球しちゃって。まったくほんとに・・・・」 「!!!!!」 「なぁ~」(誰もいないところに同意を求める) びっくりした。といっても、もちろんこれは瞬間的なこと。今日も食後は、いつもどおりわけわからん状態やった。けど、こんなやりとりができるときは、それがほんの一瞬でもむちゃくちゃうれしい。 で、わかってるときに今一度確認しておこうと思って、田舎行きのはなしをふる。父は、「うんうん」とふつーに聞いている。「たまにはさ、おしゃれしていこうよ。今日、洋服見てきたの。新しいワイシャツと、夏用のジャケットを買うつもりだから、当日はついでにネクタイも締めてさ、みんなを驚かせちゃうかー」といったら、「うゎ~、まいったなぁ」と、大袈裟にそっくり返る。なんか、うれしそう。そしていきなり、「さんさんと、光り輝く未来か・・・」と続けた。わはは。パパ、おでかけは法事なんだってば。 看護師さんが、食前に飲む漢方薬を、トロミアップしてくるくるかき混ぜながら持ってきてくれた。とりあえず笑顔できたんだけど、いきなり、「この薬、なかなか効きませんねぇ~」って。彼女は、ほんとに親切なんだけど、いつも必ず一言多いのだ。てか、前後の脈絡もなく、あまりに唐突でびっくり。ちょっと考えて、「あ、便秘のことですか?」と聞いたら、「そうです」。 とりあえず便秘薬は中止して、今は4日おきに座薬で対応しているそうだ。お、そりゃ、ええやんかー。それでも「なかなか、ねぇー」と、まだぶつぶついってるので、「これは便秘薬ではありませんから、即行で便秘だけよくなったら返って怖いですよ。今は、体質を改善している途中なので。でも、手や足の乾燥もよくなってるし(血行もよさそうだし)、なかなかいい感じと思うんですけどー」といっておいた。漢方に興味ないしとには、なにいってるか意味不明で気持ち悪いんだろうな。わかる人には通じると思うけど。ただ、こんなに父の状態を気にしてくれているということは、ほんとにありがたい。それは心から思う。 一般的な医療従事者、つまりふだん西洋薬しか使ってない人には、漢方薬の効き目は、わかりにくいんだろうと思う。この看護師さんは、「ケミカル便秘薬の変わりに、漢方便秘薬をつかう」ことが「漢方治療」だと思ってるのかもしれないし。けど、そういうことだったら「対症療法」である西洋薬とかわらんのだ。和漢診療って、そういうことじゃない。今の父の場合は、基本的に「体力と元気をつける」ことを目的にしている。で、先週から、冷えを取り除くため、その原因になっている血行不良を治す処方を加えたのだ。足りない血を補って、滞った血流を促進。この処方、副効用として、手足の乾燥がよくなったり、便秘の改善などが期待でけるのだ。 その観点からすれば、皮膚のつやがよくなって、舌の亀裂も少なくなって、声もすこし張りがでてきて、冷えがやや改善しつつある今日のような状況は、たぶん和漢先生なら「かなり効いている」と診るはず。だからおいらとしては、このままの処方で、しばらくお試ししたい。ま、この病院の主治医(精神科の西洋医)は「それでいい」といってくれてるんだから、とりあえずしばらくは家族のわがままを聞いてもらうべ。 Blog Runking of Welfare and Nurse Thanks for reading ! ■
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by scallops
| 2006-05-10 22:38
| 認知症
![]() 2ヶ月前の父の表情を、先生は「仮面様顔貌」と診ていた。傍らの研修医に対し、その変化をわかりやすく説明している。 「テストは前の病院で数回やりました。最後にやった平成17年の結果が確か13点で。秋だったと思います」と、おいら。あれは、ちょうど要介護5になった頃だった。 長谷川式スケールは認知症の判定に使われるテストで、9つの質問によって短期の記憶や見当識、記名力を評価して点数化するというもの。ちなみに見当識というのは、季節・場所・時間などの感覚をきちんと認識してるかどうか。 和漢診療の先生は、診療科でいうと内科医。主治医は、特に高齢者医療を専門にしているわけでもないから、認知症やDLBについては、あまりご存知ないと思っていた。それが、こうしてさりげなく気にしてもらえるなんて、本当にありがたい。わざわざ調べてくれてるのだろうか。先生としては、これほど顕著に(見た目での)改善が見られるなら、見当識障害の認識レベルも向上したのでは、と思ったらしい。そして、「お、じゃ、やってみようか」と、その場で質問をはじめた。 もちろん、そう簡単にうまくいくものではなかった。 「年齢はいくつですか?」という、最初の質問への答えからつまづいた。父は、「86歳かな?」といった。ホントは82歳、1歳の誤差までが正解の範囲。でも、前は50歳とかいってたんだから、だいぶ近くなってるかも。なんちってね。ぷぷぷ。日にちや場所も、まったく認識できていなかった。 そのうち疲れてきたのか、いってることが意味不明になったので、途中で中止する。ま、そんなもんだよな。しかたないこと。この日、病院に来るまで最低10回は、「で、どこいくんだっけ」「◎×病院だよ」「あっそっか」という会話を繰り返した。それでもやっぱり、「認識」はしてなかったのだ。もしこのまま続けたとしても、10点もいかなかった気がする。 でも、この日の先生の試みを見て、こういうトレーニングもあるんだな、と閃いてしまった。 感覚的な「わかる」と「認知の度合い」はまったくちがう。それを測るのに、長谷川式スケールの結果だけが正式に通用するということは、この「状況的認識」が、日常生活において重要であることの証明なのだ。 そもそもパパは、見当識障害がとにかくひどかった。 生活に関するすべてのことの認識が、皆無に等しい状態。そのくせ「ヘモグロビン」「バランスシート」「グアンタナモ」なんてことはわかったりするから、余計始末がわるい。家族を混乱させたのは、この落差だった。当時、会話はふつーにできたので、うちでは見当識障害を「しかたない」「病気だから」と、それほど気にすることなく放置してきた。 諦めだったのかもしれないけど、家族としては別に、認識ができなくてもパパはパパだし、楽しく笑顔を見せてくれてれば御の字、それほど大きな問題じゃなかったわけで。だけどね、なんか、ちょっと欲が出てしまった。うぷぷ。なんもやらないより、やって失敗したほうがいい。しばらくお見舞いのたび、トレーニングの真似事でもしてみよう。 Blog Runking of Welfare and Nurse Thanks for reading ! ■
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by scallops
| 2006-05-05 03:35
| 認知症
![]() 先週からリッター10円値上がりしたガソリンを満タンにし、プリンを買って、8時に病院着。食事と歯磨きは済んでたが、父はまだパジャマのまま。おれが着く前に着替え終了の約束だけど、一度も着替えが終わってたことがない。まー、朝は忙しいもんね。 外出のためリハパンに換えようと部屋に戻る。おむつを脱がせたら、ずっしり重いくらい濡れていた。あうう。ほんとはもっと頻繁におむつをチェックしてほしいんだよなぁ。何度もいっているけどなかなか改善されない、と喉まででかけたが今日はいわなかった。それどころじゃなかったし、聞いたところで「(40人以上患者がいる)病院の都合」で片付けられるのはわかっている。それでもとりあえずこの機会にと、おしりのかぶれや、褥瘡などをチェックさせてもらった。異常なし。うん、やることはちゃんとやってくれている証拠だ。おしりのシワの部分を両手であげ、こうやって確認する作業にもすっかり慣れた。介護人としての自覚も、多少は芽生えてるんだろう。 とにかく時間がないので、おいらを含めて4人がかりで着替えをした。それでも病院を出たのが8時半近くなる。アクセルを床まで踏みっぱにして、高速の追越し車線をぶっちぎり、どうにか9時すぎには目的の病院へ。早めに出ても結局はギリギリ。この病院、9時すぎにはつかないと駐車場がいっぱいになって、予約&診療時間に遅れてしまうのだ。遅れた分だけ、待ち時間ものびるわけで。車イス駐車場もあるんだけど一般駐車場の奥にあって、並ぶ時間は同じ。スペースが空いてても、入り口が一緒だから入れないというジレンマがある。 診察室に入ると「お、よさそうですね」と先生。 今日の父は、誰もが見てすぐわかるほど、しかも本人自ら「調子いいんです」とはっきりいってしまうくらい絶好調。2月の和漢初診時に、無表情で、無言で、無反応で、まったく動くこともでけなかったのを見てらっさるので、この変化にはさすがに驚かれる。確かに、(見当識障害はともかく)身体症状は見違えるように好転している。それでも今日は、父がいつでも異常に寒がること、手足がつめたいこと、便秘気味で2種の便秘薬を盛られてること、顔、首から胸、耳まで乾燥してかさかさ、靴下を脱ぐと真っ白に粉を吹くほどだということをはなし、補血&血行促進作用がある当帰を加えた処方に変えてもらうことになった。この処方は便通もよくする効果が期待できるという。症状や体質によって、こういう繊細な処方をしてもらえるところが和漢のいいところ。 診療が終わり父のトイレ介助して、薬局へ行ったらすでに11時をとっくに過ぎていた。診察を待つ間に待合室で一個、清算を待つ間にロビーで一個、水分補給も兼ねてプリンを食べさせたが、聞くと「お腹すいた」というし、お昼ごはんはなるべく時間通りに食べさせたい。どうにか間に合うよう、また高速をかっとばして病院へ戻った。父はペースト食なので、外での食事はむずかしいのだ。 無事に食事を済ませたら、元気がよすぎてなぜか興奮気味。元気になってくれてほんとにうれしいんだけど、いきなり久しぶりのひどい不穏がでて、疲労困憊のおいらには手に負えない。途中であきらめ3時すぎに家へ戻って、爆発物と格闘した。その後ようやくお昼ごはん。 夕方、仮眠とってベホイミ状態。だいぶ回復すたので、これからお返事書きまぁす。 Blog Runking of Welfare and Nurse Thanks for reading ! ■
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by scallops
| 2006-04-29 00:00
| 認知症
![]() なぜかおれの顔を見ると、それはもう喜び、「なーによー。おねえちゃん、まぁた会ったねー」と、満面の笑顔。手を差し出したので、思わず手を握り「こんばんはー。またお会いしましたねー」と、同じようにご挨拶を返した。看護師さんが車イスを押して、部屋へ戻るところだった。「今日はもう寝っちゃうから、またね。今度来たら、寄りなさいよぉ~」。戻りかけながら、続ける。「わたしはいつでもここにいるからね~」。 回廊をもう一周しようとしたら、T子さんと目が合った。最近父が同じテーブルで、ごはんをご一緒してる方。おれは、夕食時にお邪魔することが多いので、テーブルでいつも簡単にご挨拶をしていた。T子さんからは、声での返事は返ってこないんだけど、必ず目を見てうなずき返してくれる。小柄で、雰囲気のやわらかいとてもキュートな女性だ。そのT子さんが、いきなりおれに向かって両手を伸ばしてきた。どどどどうしたんだろう。 左手でパパと手をつないだまま、T子さんに歩み寄り、右手でT子さんと握手をした。ぷわぷわした小さな手だった。T子さんがどういうご病気で、ふだんどうしておいでなのか、おれはまったく知らないのだ。今日も声はなく、ただひたすら静かにうなずいているだけ。 「こんばんは。いつも、父と同じテーブルで食事をご一緒してくださってありがとうございます」。思わず口から出た。T子さんは、目にいっぱい涙を溜めて、おれの顔を見ながら、うんうんうんとうなずいている。言葉を理解してるのか、そうでないのか、正直なところよくわからない。けど、ちょっとうれしそうにみえる。胸がキュゥゥンとした。「じゃぁ、おやすみなさい。またお会いしましょうね」。やわらかい手のぬくもりを残したまま、T子さんもまた、部屋へ戻っていかれた。 他の方と親しくすると、いつもなら不愉快な顔になるパパが、今日はそんな様子を見ながらも、めずらしく笑顔をみせた。今日のパパは、どういうわけかすごくゆとりがある感じだった。こういう日もあるんだなぁ。とても顔色もよく、お散歩する足も、いつもより歩幅が大きく、気分もよさそうだった。 父の症状はとてもムラがあり、いいときとわるいときの差がとても激しい。だから、主治医からは「あまりしんぱいしすぎないように」だけど「あまり期待もしすぎないように」といわれている。そう。だから明日のことはまったくわからないのだ。けど、今日、今の瞬間はとても幸せで、その気持ちのまま家に戻ることができた。それでいいのだと思った。 ちょっとうれしい金曜日。 blog runking Thanks for reading ! ■
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by scallops
| 2006-04-21 23:59
| 認知症
![]() 父が誤嚥性肺炎で入院中、「もうやばいかも」ってときのこと。 「今後、うちでの介護はムリ」と主治医からつげられたとき、おれは病室へいってパパにそれを説明しながらベッド脇でめそめそ泣いていた。 父にとって、それはとても大事なことだったんだけど、パパがそれを理解してるかどうかなんて、まったく関係なかった。ずいぶん身勝手なはなしだよね。でも、とにかく最終的にはおれがすべて決断したりハンコを押さなくちゃいけなかったから、その責任がすごく重圧になっていたのだと思う。おれが選択を誤ることで、パパの身になにか起きるかもしれないのだ。親の保護者になるってことが、おれにはほんとにプレッシャーだった。そんなおれを見ながら、父が不機嫌そうな顔でいった。 「ずっと(ひとり暮らししたり、旅をして)家にいなかったくせに、今さらなにいってるんだ」 ハッとした。パパはわかってる。そして、・・・・・・きっとパパは大丈夫なんだ。 そうだ。おれはずっと、20年も両親と離れて暮らしてきた。この2年間は、かなり特別な期間。おれは日々のあれこれに埋もれている間に、いつの間にか「父と一緒にいることが当然」になっていた。父は今、おれよりもずっと理性的に「そのこと」を考えている。そして、認知症(でなにもわからないはず)のパパが、「ばかだなぁ」「しんぱいしすぎるなよ」って、おれを元気づけている。 おれはたぶん、父の病気のこと、死が現実になりそうだったこと、介護したいけど無理なこと、なんかうまくいえないけど、そういうすべてのことを、100%マイナスな、自分自身の悲しみ、そして挫折として(たぶん被害妄想的に)受け止めていた。それらはおれがすべて解決でけることじゃないし、思いつめて悩むことなどないはずなのに。もっと自然に、自分をニュートラルな状態にして受け止めればいいことだ。うまくいかないのは、それはそれでひとつの事実。おれにどうこうでける問題じゃない。パパのせいでもないし、ましてや病院のせいでもない。 このはなしをしようとすると、自然と胸が痛くなって、いつも目になんかあふれてくる。銀座の街角で、半泣きになって、けれど、トモダチにはとりあえず伝えることができた。 そして、先日、横森美奈子さんとしごとをした友人が、彼女のエッセイに載っているという似たようなエピソードを教えてくれた。そういえば「私の介護days-仕事も、おしゃれも。」というこの本は、婦人科医の友人が前に「読んでみてね」とくれたものだった。もらってすぐ読んだのだけれど、父の入院騒ぎの渦中にあったので、そのことをすっかり忘れてた。どこにしまったんだろう・・・。あとで、本棚を探してみよう。 「横森さんはご両親を介護できたこと『本当によかった』っていうのよ」。それを聞いて、おれも自然にいっていた。「そうなの。おれもね、そう思ってるんだよ、今。ホントに家に戻ってよかったと思う」。 迷いなどない。ほんとに、胸を張っていえた。 うちの介護はまだまだこれからがたいへんだと思うんだけど、それでも今そういえることは、おれにとって大きな進歩なのだ。なんか、ひとつ大きなものを乗り越えた気持ちだった。そして、それに改めて気づかせてくれたトモダチにも「ありがとう」だ。 blog runking Thanks for reading ! ■
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by scallops
| 2006-04-20 04:29
| 認知症
![]() 「パパが『帰れ』っていうから、帰ってくるの」。毎回のように母はいう。「洗濯しなくちゃいけないんだろ」なんて、いうこともあるらしい。夜、回廊をおさんぽしながら、おれがしょっちゅう父に一方的にはなしていることを、父はわかっているのだと思った。 「イマイチ母の体調がよくない」と、父にはときどき伝えている。はなしても父は、まったく、ひとっつも反応がないから、聞いてるのか聞いてないのかわからなかったのだけれど。それでもおれとしては、前は母もしょっちゅう来てたのに、今は週に一度がやっと。だから、父にはその理由をはなしておくべきだと思っていた。こないだ倒れて以来、「風邪を引きやすく」なり、「疲れやすく」なっている。だから「来たがってるけど、あんまり来られないの」。兄とおいらで、母には「ムリしないようにいっている」。かいつまんでいうと、そんな内容。 父はわかってるのかなぁ。そして「夫婦」だから、いたわりあってるのだろうか。 昨日の日記に、コメントたくさんありがとうございました。今日は朝から今までちょーいそがしかったので、たぶんこのままおぷろ入って寝ます。明日以降レスします。すみません。ほんとに感謝です。 んで、今日の画像は、父から「大事なもの」を渡されたとこです。 blog runking Thanks for reading ! ■
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by scallops
| 2006-04-18 23:48
| 認知症
![]() 病名は、レビー小体病。これは、脳の中、大脳皮質あたりに「レビー小体」っていう物質がわきわきして、思考やら運動やら、いろんな伝達を阻害してしまうといわれてる。よく比較されるパーキンソン病は、脳幹のなかにこの「レビー小体」がいてて、ちょっとだぶる部分があるの。といっても、根本的には違う病気なんだけどね。 パパのように「レビー小体」の野郎に大脳皮質が侵されると、幻覚やせん妄、認知症が現れ、場合によってはパーキンソニズム(振戦麻痺などの運動機能障害)がでてくる。伯母(父の兄の嫁)のようにパーキンソン病で脳幹が侵されると、認知症はなく頭はすっきりのまま振戦麻痺が現れ、運動機能がどんどん弱っていずれ寝たきりになる(伯母はすでに寝たきり)。 パパは前者。だから、なにも知らない人に大雑把に説明するときには、アルツハイマー(認知症)にパーキンソン病(運動機能障害)の症状が伴う性質の悪い病気、というようにしている。 なのにね、血液も尿も検査結果はまるっと正常値なんだからびっくりだよ。おれはこないだ初めて高脂血症気味(ふ、ふとりすぎか・・・!?)とかでてもうたし、母も兄もちょっと数値の悪いとこがあるらしい。つまり、うちの家族で、いちばん正常値なんだよね。ううう。 もちろん、結局は中枢にトラブルがあるわけだから、手足まで脳からの指令が上手に伝達されなくなるし、振戦麻痺が現れていない今でも、運動障害はやってきている。特徴としては、一歩目の踏み出しが困難だったり、いきなりトトトッと歩き出してしまったり、歩幅はほとんど牛歩って感じかな。 認知症の場合はみんなそうだと思うんだけど、どう機能が制限されるか、どんな障害がでるかは、人によってほんとにいろいろ。うちの場合は最初から見当識障害がとにかくひどく、生活習慣についての知識がすっぽり抜け落ちてる状態だった。古い記憶とかむずかしいことはすごい覚えていたりするのに、イスの座り方や、ベッドへ寝る方法がわからなかったりするの。 2年前にパパとソファでBBCニュースを見てたとき、「グアンタナモってなんだろー」とつぶやいたおいらに向かって、「グアンタナモはキューバの米軍基地。そんなことも知らないのか。おまえは本当に教養がないな。新聞くらい読め!」といった。パパはすでに認知症だけで要介護3だった。もうね、目ウロコってか、単純にむちゃくちゃ恥ずかしかったよ。うひー。 しかも「うちの家紋ってなんだっけ?」って聞くと、とっさに「剣片喰(けんかたばみ)」ってでてくる。なのに、トイレにいきたいときにどうすればいいか全然わからないのね。トイレに連れていっても、ドアを開けて入ることが理解できない、便座への座り方がわからない、座った後なにをすればいいのかまったくわからない。介助者は、ほんとに混乱の極みもいいとこ。 で、トイレから出ても、手を洗うのに蛇口をひねることができない。そして、「どうしてみんなはそれを知ってるんだ」と不思議そうにしてる。洋服を着るのだって、理解不能で。ママが洋服をパパの脇に置いておくと、よく自分でやろうとしてたんだけど、99%の確率で、セーターをズボンのようにはいたり、ジャージ(ズボン)を頭からかぶってたなぁ。おもしろいのは、同じ靴下を左側に2枚履いて、その上から緑色の軍手を履くの。笑うとパパが気にするから声出せなかったけど、毎回肩がふるえちゃったよ。 どこが、いつ、どうおかしくなるかわからず、本人がその予兆や実際に変な様子を伝えられないので、介助者はいつもぴきぴきと勘を働かせてないといけないの。もうね、24時間アンテナがフルスロットル。まったくもー、シックスセンスも磨かれるもんだよ。 blog runking Thanks for reading ! ■
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by scallops
| 2006-04-16 15:36
| 認知症
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