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いつもよりよくしゃべる父と会話(にならない会話)をしながら、しばらく待って、ようやく名前を呼ばれる。今日の診察の順番は、母→父→おいら。
母は、この3ヶ月で、見違えるように元気になった。まだ咳が残り、疲れやすいのは気になるんだけど、これは年齢のせいもあるわけで、多少のことは仕方がないと思っている。 ブログには詳細を書かなかったけど、先日祖母の家へお中元のご挨拶にいったとき、親戚から「4月の法事には(母の)鬱をうたがっていた」といわれたのだった。今回、急に元気になっ(て毒舌が再開し)た母を見て、オドロキ、「ほんとによかった」といってくれた。口が悪くて「よかった」といわれるなんて、ほんとに母は幸せ者だと思う。 そして母の体調をおかしいと思っていたのは、おれだけじゃなかったんだなぁとぼんやり思った。おいらが心配しはじめたのは1月末に、倒れてからのこと。その後「治った!」と頑なだった母を、すぐ病院へ連れていきたかったんだけど、2月と3月は、本人がむちゃくちゃいやがっていて、そのことで毎回ケンカになった。本人も「おかしい」ことには気づいてたけど、認めるのがイヤだったのだろう。 父の和漢治療が始まり、外からみても元気になったのがわかるくらいによくなり、それを見て母が「和漢ならいってみてもいいかも」と思い始めたのが3月のこと。すでに母のことを医師には相談し、予約を入れてあったので、「とりあえず、一度いってみようね」と母にいった。 それが確か3月の終わりか4月のはじめのこと。最初の診察で母は、「どこも悪くないんです」と医者にいい放った。先生には、たぶんそういうと思う、と告げてあったので、驚かず笑って聞いてくれた。 診察後にもらった漢方薬を、最初は「匂いがイヤ」とか「飲みにくい」とぶつぶついい、効果もイマイチわからなかったらしく、飲んだり飲まなかったりの繰り返し。具合悪そうにしていると、おれが「ちゃんと薬を飲みなさい」とうるさくいうので、いやいや、しかたなく飲んでいたのだと思う。それでも、やっぱりすこしでも体調が変わってくれば、自分でもわかるようになる。 先生もおいらも、6月の診察時には、母の声のハリがまったく違っていたので、いい方向にいってると思った。けど、母自身はまだ実感としては感じてなかったようで、本人がようやく「楽になった」と思ったのは、つい最近のことだ。 この日の診察では、「五十肩の痛みがとれた」とか、「漢方薬を飲むと咳が楽になる」など、ようやく、前向きな言葉がでてきた。 たとえばいきなり熱が出たり、お腹が痛くなるような不調と違い、蓄積疲労によるものはすこしずつ悪くなってくるものだから、本人にはなかなか実感できないんだよね。多少辛くても、「そんなもん」だとガマンしてしまう。実際に治って、楽になってみないとわからないのかもしれない。 でも最近母は、起きてる時間もだいぶ増えてきて、声も大きくなっている。顔色もまったく違う。なにより、笑顔が見えるようになったこと、外出しようと思う気力ができてきたことは、ほんとうにうれしく思う。 もちろん、まだ母が完全に治ったとは思ってない。けど、たぶんあれは「介護鬱だった」と、今ならいえる。母自身が「あのときはおかしかった」と、口に出せるようになった。それって大きな進歩だよね。そして、母だけじゃなく、たぶんおいら自身にも、その兆候があったことを、今なら自分でも認められるのだ。 Blog Runking of Welfare and Nurse ←介護鬱って思ってるよりずっと身近なんだよね・・・ #
by scallops
| 2006-07-09 09:55
| 家族
月に一度の和漢診察日。父の診察がメインだが、母と、ついでにおれも診てもらっている。外へ出ると、なんだか雲行きが怪しい。どうか、雨が降りませんように。
朝7時すぎに家を出て、高速を飛ばし、8時に入院先の病院へ到着。今日はめずらしく着替えと歯磨きが済んでいた。ちょっとびっくり。昨晩、ナースステーションに念押ししといた甲斐があったのかな。来月もそうしようっと。あとは、冷房対策のジャケットだけ選べばいい。そうそう、それからカギのついたロッカーから靴を出してもらわなくちゃ。靴を忘れたらえらいこっちゃだ。 とりあえずジャケットをとりにいこうと、父を連れて部屋へ戻ると、入院患者のAさんが車イスで父の部屋へ入りこみ、なにやら大声で叫んでいた。父は声の大きな患者さんが苦手で、そのストレスから不穏になってしまうため、車イスごと父を廊下に放置して、おいらだけ部屋へ入った。 Aさんに限らず、他の患者さんが部屋に入ってきたり、引き出しをさぐるのはいつものことだ。だから、父の部屋に他人がいるくらいでは、特にもう気にならない。けど、聞いてて耳の奥がビリビリするほど大声で騒いでいる内容が、最初はまったく聞き取れず、申し訳ない気持ちになった。しばらくは、Aさんのことをボーっと見つめてしまったりして。 わからないのに聞いていても仕方がないので、あんまり気にしすぎないようにしようと、後ろを向いてジャケットを選んでいたら、急に、Aさんの目的は部屋の奥にいるポータブルトイレ子ちゃんで、「便がしたい」と叫んでいるような気がしてきた。 振り向いて「(車イスの裏に書かれた名前をチェックし)○○さん、お手洗いにいきたいんですか?」と聞くと、咆哮に近い声で「そうなんだよぉー」と叫んだ。 便意を伝えられるのは、大切なことだよね。「そっか、それは急がなくちゃいけませんね。今、スタッフさん呼んできますから待っててください」といって、(「このうるさいのをどうにかしろ」と騒ぐ父を廊下に放置したまま)介護士さんを呼びにいき、トイレへ連れていってもらった。おれとしては、父のポータブルトイレを使ってもらっても別に構わないと思ったのだが、病院としてはまずいみたいだった。って、当たり前なのか。ぶぶぶ。 で、おいらはぷんぷん怒っている父に、白と黒のトラックジャケットを見せ、「どっち着る?」と選んでもらうことにした。最初は「わからない」と無視してたが、そのうち黒いジャケットに手を伸ばしたので、それを父にもたせ、白いジャケットを引き出しに戻す。黒は2年前に地元のデパートで、白は2月に香港で買ってきた。いずれもおれが選んだものだ。 前日に頼んでおいた血液検査の結果をもらい、外出届を出し、念のためおむつとパッドの換えをもらって外出。病棟を出た瞬間、エレベーターホールで冷房が強くなって、父がいきなり怒っておいらに殴りかかろうとしたので、あわてて後ろに回ってジャケットを着せる。 雨を覚悟していたが、どうにか天気は持ち直してくれた。夏場は、天気がくずれなければとりあえず父へのストレスが少なく、通院する作業もスムーズでありがたい。 今日は母も同時に診察を受けることになっている。 先生が、「両親を別々に連れてくるのは大変だから」と、そのように予約日を変更してくれたのだ。ただ、母を早朝出発のお迎えのために、2時間も前から同行させるのは気の毒なので、時間通りひとりで病院へ行っていてもらって、受付で合流した。 いつもは、おいらひとりでやるけど、今日は母にサポートが頼める。これも母が元気になってきたから、可能になったことだ。と、おれが感慨深く思ったのもつかの間、受付を終えた母が「じゃぁね」と、ひとりで外来の受付にいこうとするので、「ちょーーーーーーーーっと待ったー!」と呼び止める。で、「今日はちゃんと手伝わなくちゃダメだよ。せめて、エレベーターのボタンを押して」と厳重注意。「う、ひゃ~、それもそうよね」といった。悪気があるわけじゃなく、ただ、ほんとーに気づいていないのだ、うちの母は。 それから30分後、父とおいらの予約と受け付けも、どうにかスムーズに終える。 たぶんこれから1時間は軽く待つことになるので、タイミングを見計らって父にジュースを飲ませる用意をしてきている。母はこういうことをすごく面倒くさがって、「そんなことをしなくても平気」と、おれの作業を止めようとし、そんなちっさいことがすごいストレスになる。でも、おれはマイペースを貫くんだもん。今日は、以前、蟹やんから教えてもらった紫蘇ジュースをペットボトルに入れて、こっちょり持参した。 いつも父が病院でおやつのジュースをもらう10時を過ぎたので、待合いロビーにて、用意した紙コップにショッキングピンクのジュースを注ぎ、トロミアップぱーへくとでトロトロにして、父に渡す。色が色なので、たれたら服が赤く染まってしまうため、胸元にはタオルをかける。 待合室の患者さんが、興味深そうにおれの手元を見つめていた。母はこのジュースを「すっぱい」といって飲めなかったが、父は「うまいッ」といってごくごく一気に飲んでくれた。砂糖の代わりにハチミツで甘みをつけてある。ミネラル分がふんだんに入っているから、父の健康にもいいはずで、蟹やんにはチョー感謝なのだ。 Blog Runking of Welfare and Nurse ←紫蘇ジュースはうまいだね! #
by scallops
| 2006-07-08 09:36
| 認知症
朝早く、母が居間でテレビをみながらとつとつとしゃべりだした。
戦争中、母が小学生だったとき、大きな空襲に遭った。長女だった母は当時高学年で、まだヨチヨチ歩きだった幼ない弟の手を引き、低学年の妹を連れ、乳児だった下の弟を抱いた祖母とともに、すぐ近所の防空壕へ逃げた。 空襲はますますひどくなり、あまりの爆撃のひどさに「ここでは危ない」と判断。近くの田んぼまで必死で走っていったという。そのときに祖母が「ものをとりにいってくる」と家へ戻ろうとするのを、「『今いったら危ないからやめて』と、必死で止めた」そうだ。 延々と止むことがないと思うほど恐ろしかった時間も、あとで考えればほんの数十分。 どんなに耳をふさいでも全身に響いてきた爆撃の音が、いきなり、うそのように静かになった。どうにか家族は無事に生き残ることができ、家へ戻ってみると、周囲は爆撃によって亡くなった人たちが、恐ろしいほどたくさん、静かに横たわっていたという。 「(あちこちに死体が並ぶ様子は)ほんとうにひどかった」。下を向いたまま、母は首をふった。 焼夷弾が直撃した門は大きな炎を上げて燃え、屋根も壁もぼろぼろになったが、家の機能はどうにか果たせるくらいに残り、その後もどうにか変わらずに生活をすることができた。しかし、それでもなお、母の脳裏には今でも決して忘れられないくらい、当時の惨状が鮮明に焼きついている。 「これからどうやって生活していけばいいのだろう」。 家族で途方にくれていたとき、大伯父(祖母の兄=母にとっては伯父)と曾祖母(祖母の母=母にとっては祖母)が、いきなりやってきた。 隣の市(当時は町)に住んでいた曾祖母は、瓦礫の中を何時間もかけ歩き、おにぎりと野菜をもって見舞いにかけつけた。嫁にいった娘の家族が住むはずの街全体が、赤々と燃える様子を遠目に見て、「あんなにひどい様子ではもう、全員がだめかもしれない」と思いながら、だけど「万にひとつの無事」を信じて、諦めずに足を進め続けてくれたという。だって家族だから、ね。 隣のキッチンで朝食の納豆をぐるぐるかきまぜながら、なんだか思わぬ話の展開に、おれはボロボロ涙を流していた。そんなことを知らない母は、居間に座ったままで、いった。 「だから、七夕はだいきらいなの」。 Blog Runking of Welfare and Nurse ← いろんな七夕がありますね。 #
by scallops
| 2006-07-07 23:15
| 家族
96歳祖母はボケ知らず。子供や孫より頭がシャープで怖いくらい。
ふだん「不調が当たり前」なしとばかりを看ているので、たまに祖母と会うと、(脳が)健康なまま年を重ねるというのは、こういうことをいうんだなと背筋がビッと伸びる思い。なんというか、むちゃくちゃ刺激的なんだよね。 もつろん父は病気なわけで、(祖母が健康でどんなにかっくいいからといって)別に祖母と父を比べてるわけではなく、ただ単純に「すごい人もいるもんだ」と客観的に思っちゃうのだ。で、そうはいっても、祖母のとこへいけば、尊敬とか敬意とかいう前に、思わずぎゅぅぅっと抱きついたりハグハグしたりしまくるんだしね。いっそにいる間は、お手手もつなぎ放題。だって、おばーちゃん、やわらかくてかわいいんだむぉん。 夏には「お中元」、冬には「お歳暮」と称して、叔母ふたりと母が祖母のモトを訪れる。 目的は「贈答」ではなく、あくまで「顔見せ」。実際に足を運び、お昼ごはんを共にして、会話をもつことがだいじなのである。もう数十年も続く、ほたて親族の習慣だ。まぁ、会話といっても、この日めっさ白熱したのはもっぱら健康と年金問題だったけどね。ぶぶぶ。 足が不自由とか、ペースメーカーとか、耳が聞こえない、片方の視力はNGなど、同じボディをたいせつに、これだけ長く使っていれば、多少の不具合はでてくる。それは、にんげんとして自然なことだと思うんだけれども、それは年齢が半分にも満たない若輩者の無神経な感想だ。実際に不自由を感じている身として、祖母自身は自分で「情けない」と感じるようである。親戚一同でどんなに祖母の健康に感服しても、明治生まれの男前な祖母が、現状に心から満足することはない。 幼少時一緒に住んでさんざん世話になった祖母には、常に、孫として「なにかしたい」と思っているんだけれど、それが祖母からすると「逆だろ!」ってことらしく、何度もダメだしをくらう。たとえばいっそに食事をしてレストランで勝手に(おれが)お金を払うとね、「それは筋が違う」とかいわれるわけ。そんなことで何度も叱られるんだよね。 「え・・・・」って感じじゃね? 思わず絶句するというもの。「なにがわるいんやろ・・・」って、真剣に考えちったよ。あはは。おれとしては、96歳ともなれば隠居してて当然、してもらって当たり前って思ってしまっているトコロがあるわけで、だけど実際のところ、祖母はいまだに自立しているのだ。そしてそれこそが、今の祖母の自信につながっている。 つまり、祖母の「母として子らに」「祖母として孫らに」、たとえ96歳という高齢になっても、一族のドン(!)として、ごちそうをしてあげ(られ)る幸せを奪ってはいけないということのようだった。96歳になって、同居する長男家族とは世帯が別で、現在も扶養家族ではないという祖母。常に緊張感と問題意識を持ち続け、小言もはっきりといい、御歳over70からの子供たちを叱りとばす。なんかさ、このへんにボケない秘密がありそうやね。 最近はだいぶ慣れてきたので、おれも孫として甘え放題しているが、ときどき「でも・・・・」「やっぱり、違う気がする」「社会的にはどーなの?」と、もやもやすることがある。ま、うちはうちだし、きっとそういうのもアリだろうし、そうすることで祖母が元気だったら、それが一番なんだけどね。 で・・・・、今日は母が病院に。今日のパパはでんでんNGだったらすぃ。がっくり肩を落として帰ってきた。けど、ま、こんな日もあるさ。明日も踏ん張るど! Blog Runking of Welfare and Nurse ← マイペースな猫のメグちゃん、かわいいでそ? #
by scallops
| 2006-07-04 17:44
| 家族
アマゾンから、注文していたレビーの本が届いた。
「Dementia with Lewy Bodies」。イギリスで出版されたDLBDの専門書である。翻訳ソフトと辞書はもちろん使うけど、さて、おれなんかに読めるんだろうか。英語もろくすっぽしゃべれない素人がこんなものを手に入れて、なんか意味があるんだろうか。父の介護に生かせることが、ほんとうにあるんだろうか。これって、めっさ無駄な出費かもしれない。決して安い本じゃないしなぁ。でも、おれは、わからないからやってみようと思ったのだ。たとえ、ばかばかしくても、やらないより、やって失敗したほうがいい。 ざっと目を通してみたら、ぜんぜんわからなかった。当たり前だな。ぎゃはは。 けど、小阪先生のレポートと通じる単語が随所に出てきたり、小阪先生や若林先生ご自身の名前など、おれが集めた文献の作者名があちこちに出てきて、そんなことだけでちょっと興味がもてた。でも、そこまで。あまりに単語がわからなすぎて、日本語でも英語でもむずかしさは同じって感じ。ひどすぎるよね。ぶぶぶ。ただ、日本で出ている資料の出所がこれのようで、やっぱり情報を得るためには役に立ちそう。もちろん、読めれば、なんだけどね。あははー、だ。 夕方、高速を飛ばして病院へ。パパは、なんだかとてもぼんやりしていた。 ジメジメした気候のせいもあるんだろーけれど、こういう日はおれ自身がとても憂鬱になる。もつろん、そんな悲しい顔をパパには見せない。けど、いつもとかわらないように笑顔でいたとしても、心の中はどんより。自分には隠せないもんね。 在宅で介護できたら、もっと笑顔が見られるのではないか、せめてもっと頻繁に病院へ通うことができたら・・・・。今はそれが無理だから、入院しているのだけれど、こういう日には、悩んでも仕方のない思いが頭のなかをぐるぐる回り続けて、憂鬱スパイラルに陥る。 DLBと診断される父の病状は、とにかく「日内変動が激しい」と、医師からはいわれている。 何度となくブログにも書いているし、自分でもわかりすぎてるわけで、「あまり気にしない」よう自分には言い聞かせるが、パパの症状やちょっとした言動など、実際にはほんの些細なことで、おいらは毎回一喜一憂する。しかたないよね。だって家族だもん。やっぱ、できれば笑顔でいて欲しい。ただひたすら笑顔が見たい。これは子供のエゴだけど。 ジメジメは、おれの精神状態もジトジトさせるんだなぁと思った。 夕食&桃ゼリー後、父はとても辛そうにしてた。なんだかとっても疲れて見えた。立ち上がることすら困難。それでも無理やり、車イスのまま回廊へ連れ出し、しつこく話しかける。靴下を脱がせたら、ゴムの跡がくっきり。やっぱむくんでいる。足裏マッサージを、廊下の隅で、左足から始める。痛さで顔をしかめるが、このむくみがとれればすこしは楽になるはずだ。 血行がよくなったら、父がうとうとしはじめたので、あわてて部屋へ戻り、ベッドに寝かせた。目をつぶってもまだ、ブツブツいっているのだが、おいらは気にせず、残りの右足を丹念にマッサージしてむくみをとることにした。途中からすでに父は爆睡。きっと気持ちよかったんだろう。そう思えばやりがいがある。今の時期、パパよりはるかに若いおいらでもカラダが重いし、ぼよぼよしんどいもんね。笑顔がなくったって、そりゃしかたないよな。 で。以前から気になっていた爪白癬を、しっかりチェックしてみる。とりあえず、家から持参した軟膏を塗っておく。本来は飲み薬で治療するはずなので、こんなことをしても焼け石に水だろうけど。でも、すこしでもよくなって欲しいもんね。小さなことからコツコツとだ。 Blog Runking of Welfare and Nurse ← 早く梅雨あけれ!!! #
by scallops
| 2006-07-02 03:43
| 入院
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